2004参院選
 
非自民勢力の衰退 <04参院選 奔流・保守王国(上)>

 「自民党を出たときは、津島雄二も木村守男も木村太郎もみんな一緒だった。ところが気がついたら一人だもの」

 5月24日の民主党演説会。田舎館村の公民館で、田名部匡省が皮肉まじりの決まり文句で笑いを誘った。自民党時代、農水相も務めた田名部。だが、この日、集まった聴衆は約20人だ。

 二大政党対決――。昨年の衆院選に続き、7月の参院選も自民、民主両党が争う様相だ。だが、県政界では自民勢力の肥大化を前に、非自民勢力衰退の図式が続く。

 ●離党組

 5月18日、都内のホテルであった民主党のパーティー。出席者2千人の熱気の中、田名部は参院選の公認候補の一人として紹介された。69歳は千葉選挙区の広中和歌子らと並んで最年長。ぴかぴかの白いブレザー姿に「若返ったな」と周囲から声がかかった。

 壇上では、新代表に就任したばかりの岡田克也が、菅直人、小沢一郎、羽田孜、鳩山由紀夫と握手を交わし、年金未納・未加入問題に揺れた党の結束をアピールした。菅を除く4人は、田名部と同様、93年に自民党を離党した面々だ。

 離党後の田名部は新進党県連を率い、95年2月の知事選で同じ離党組の木村守男を当選させた。新進党解党後も、独自の県民協会をつくり、木村の再選を果たす。一方、津島は95年3月に復党、99年10月の自自公連立政権誕生後、木村太郎と山崎力も自民入り。2期目を迎えた木村の姿勢も自民寄りに変わる。

 ●後継者

 県内の保守勢力が自民に回帰する中、田名部が巻き返したのが00年衆院選2区だった。

 「死なないでください! 私は田名部先生を一生裏切りません!」

 県民協会顧問の三村申吾「当確」の知らせを聞いた直後、田名部は心労から選挙事務所で倒れ、救急車で運ばれる。三村は支持者や報道陣を前に涙で絶叫した。田名部に近い県議は「田名部は三村を後継者にと考えていた」と証言する。

 だが、その三村も02年に協会を退会。自民党員でありながら三村を支援、党県連から処分された三沢市長の鈴木重令は「三村は自民党議員に流れる情報量の差に悩んでいた。自民党に入って地元のための仕事をしろと説得した」と語る。鈴木は党本部との仲介も引き受けるが、野中広務は「そんなにふらふらするやつが大丈夫か」。結局、2区で対立候補だった自民の江渡聡徳と競合するため、党県連は三村の自民入りを認めなかった。

 転機は昨年6月の木村辞任後の知事選だった。自民の支援を得て、三村が初当選する。

 三村は5月22日、参院選の自民党の奈良秀則の事務所開きに出席し、「奈良さんという花をリンゴの実に育てていくのがみなさまの責務です」と激励した。

 ●個人前面

 自民党関係者は自民回帰の理由について「国とのパイプ」と口をそろえる。核燃施設や新幹線などの誘致に加え、財政難の県にとって、政権与党であることの意味は大きいというわけだ。

 昨年の衆院選で県内の4小選挙区は自民党が独占。民主党が比例区で自民党を上回り、小選挙区でも躍進した全国的な「波」は、青森とは無縁だった。

 こうした県政界の流れの中、田名部は昨年12月、民主党に入党する。

 だが、保守色の強い田名部と民主党との違和感も根強い。後を追い民主入りしたある町議は「我々は民主党でなく田名部党」と語り、あくまでも「自民党対田名部」との認識だ。後援会組織も政党より個人を前面に打ち出す構えをみせる。

 参院選は新進党県連の解散以来、非自民勢力の民主党が一方の軸になる県内で初めての全県選挙だ。「どこもあっち行ったり、こっち行ったり。じっと待っていて二大政党の条件がやっと整った」と田名部。果たして県政界に、田名部の思い描くもう一つの潮流ができるのか。(敬称略)

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 揺るぎない「保守王国」に見える県政界。93年以降、繰り広げられてきた保守勢力の争いは参院選を契機に、どこへ収斂(しゅうれん)するのか。底流を探る。

 (06/18)


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