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07月23日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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企画 朝日新聞社広告局 制作 朝日マリオン21

ティーンズの選挙・政治意見交換サイト
セブンセンス社長 吉田拓巳さん

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「よろしくお願いします」。吉田拓巳さん(17)が両手で差し出した名刺には「セブンセンス」(本社・福岡市)の社長という肩書とともに、ツイッターのアカウントが載っている。その姿は、高校生そのものだ。

2011年夏に会社を興した。「同世代の刺激になりたいと思って」というものの、まず会社を作ることありき。「当初は事業内容も決まっていませんでした」

小学5年の時にパソコンで映像制作を始めた、いわゆる「デジタルネーティブ世代」。事業はウェブサービスやアプリ開発をするIT系に自然と決まった。投資会社から事業資金の提供も受けた。

今は種まきをしている段階で利益もまだゼロだが、少しずつ芽が出始めている。

昨年暮れの衆議院選挙に合わせ、選挙権のない10代向けに制作した「Teens Opinion」というウェブサイトは、大きな反響を呼んだ。ネット上で実在の政党に投票したり、選挙や政治について意見交換したりできる。今年夏に予定されている参議院選挙でも試みて、将来は世界中の10代で時事問題について議論できる場にしたいという。

ネット上には「生意気だ」といった中傷や批判もあるが、吉田さんは気にしない。万人受けするものを作りたいわけじゃないからだ。「最近は周りの空気を読むのがうますぎる人が多い。空気なんて読まずに自分がやりたいこと、言いたいことをアピールするって重要ですよ」

その結果生まれた様々な出会いが、視野や世界観を広げた。「何かアイデアを思いついたらツイッターでつぶやくんです。Teens Opinionもそうやってプロジェクトメンバーが集まって、8日間でできました」。高校生社長の強みは、フットワークの軽さだ。


作って売るオリジナルネクタイ
ノーブル・エイペックス社長 大関 綾さん

「平成のココ・シャネルになりたい」

大関綾さん(21)がフランスの有名ブランド創業者を目標に「ノーブル・エイペックス」(本社・東京)を設立したのは高校2年生の時だ。

小学生の頃から経営者に憧れた。始発電車で出勤し終電で帰るほど働きづめの母親を、楽にしてあげたいという思いから。義足職人で経営者のおじの仕事を間近で見てきたから。

とはいっても、お金や人材が豊富な大企業や、安い製品が作れるアジアの会社と競争してもかなわない。ならばと、商品がまねされないよう特許など「知的財産権」を取り、自分たちだけが作れて売れるもので勝負しようと決めた。たどり着いたのが、手持ちのお金と技術で作れると見込めたネクタイだった。

最初の商品は「ノーブルタイ」。最近は夏にネクタイをしない人が多いが、「クールビズでもおしゃれを演出したい」と考えた。

芯に革を使い、チェーンで首からつるす「硬いネクタイ」。ネット販売を通じ海外で人気が出た。

昨年秋、装着方法はそのままに、従来のネクタイに近い「セパレーツタイ」を売り出した。デザインは全て大関さんが手がけ、都内の工場でハンドメードで作られる。

会社を立ち上げてからの3年間は、人脈を作ることと、会社の基盤を整えることに費やした。「ダメもと」で大手百貨店の会長へ手紙と商品を送ったら商品を置かせてもらえたという幸運もあった。

研究開発が一段落し、今は売ることに集中できている。昨年は約2千万円を売り上げた。「やっとスタートラインに立てた」という今の目標は「自分のブランドを世界のブランドにすること」。恋愛も遊びも一切なし。趣味は「仕事」だそうだ。


各界で活躍するあの人たちの高校時代・・・・・・みんなとても個性的でした。

アメリカで歌と勉強 頑張ったから今がある
ミュージシャン・AIさん

1981年生まれ。ニューシングル「VOICE」が発売中

歌うのが大好きで、中学を卒業したらすぐ歌の仕事をしたいと思っていたんです。でも親の勧めで高校へ行くと決めて臨んだ三者面談で、ママが先生にいきなり「アイちゃんはアメリカに行きます!」って。

ダンスを専攻したロサンゼルスのアートスクールは、とても厳しい学校でした。ゆるいのは服装だけ。きゃりーぱみゅぱみゅちゃんがいっぱいいるみたいな。

授業がわからず学校から「このままでは退学ですよ」って手紙が来て、そこから人生で初めてものすごく勉強をしました。学校以外でも教会のゴスペルクワイアやアジア系ガールズグループで歌を磨き、レコーディングやライブに忙しかった。「何でこんなに苦しい思いをしないといけないの」って思ったけど、気づいたら友だちがたくさんいて、3年間ここにいてよかったって。高校時代にあれだけ頑張ったから今笑って何でも越えられるんだって思います。

私、自分一人だったら何でも諦められるし、何にもいらない。こんなメークもしなくていいし、服も買えないんだったら同じものを着られる、そういう人間なんです。でも人がちょっとでも自分に期待してくれるなら、その人のために頑張ろうって。

福島の中学生と未来について考える「AIサミット」という催しを2月に開きました。みんな大変な経験をしたのに前を向いて、大人を動かすパワーがあって。本当の辛さを知っているから幸せだと感じられるし、人に感謝することで人生が楽しくなってくるんだとあらためて思いました。


進路、わからなくていい 誰と出会うかが大切
社会学者・古市憲寿さん

1985年生まれ。近著に『僕たちの前途』(講談社)

とにかく体育が嫌いで、医者に診断書を書いてもらってずっと見学していました。体育祭も不参加です。いじめられなかったのは「あの人は違うね」っていう空気を出していたからかも。無理してまで一緒になろうとか輪に入ろうとか思わなかった。

高3の時、文化祭で仕切る係になってしまいました。僕の場合「とりあえずみんなに任せる」のが基本。「何もできないからやって」と言うと、みんなが代わりにやってくれて、よくまとまっていましたね。

社会学者は、世の中のことを一歩引いて見るのが仕事です。法律、経済、文学など複数の領域にまたがり、内容は幅広い。僕の場合、元々なりたかったわけではないけれど、子どもの頃から文章を書くとか本を読んでまとめる作業は好きだったから、それを仕事にできたのは幸運ですね。

進路は、高校の頃からわからなくていいと思う。何が好きで何に向いているかなんて、たくさんの人に会って、いろいろ経験しなければわからないから。むしろ決めすぎない方がいい。進学を考えるなら、大学で何を勉強するかより誰と出会うかが大切です。自分が向いていそうな大学を、人や雰囲気で選んでもいいんじゃないかな。

僕は時間に遅れるし、話すのが早いうえに滑舌が悪い。でも自分ができないことを認めたうえで、何だったらストレスなくできるだろうと考えて実践しています。すると自分に見合った人に出会えて、その出会いが残っていく。自然な関係性に身を任せた方が、楽しく生きられると思いますよ。


高2の夏、なぜか台本を書いてみたいと思った
作詞家・秋元 康さん

1958年生まれ。「AKB48」グループの総合プロデューサーとして知られる。

東大に行って官僚になりたかったんです。でも私立大学の付属高校に通っていたので、高2の夏から受験勉強をしようと思っていました。それまでは、吉祥寺のジャズ喫茶やロック喫茶に入り浸っては、友だちと音楽や映画、恋愛なんかについて語り合っていましたね。脳が文化的な刺激を求めていたんです。

高2の夏、受験勉強の合間にラジオ番組を聴いていたら、なぜか自分も台本を書いてみたいと思った。書き方も何もわからないまま書いて、ニッポン放送に送ってみたんです。それが読まれて、ギャラもいただいて、ニッポン放送に遊びに行くようになりました。まさに「川の流れのように」、放送作家になっていたんです。

終電がなくなるまで放送作家の仕事をし、タクシーに乗り、大人の生活を垣間見るのが刺激的だったけど、今思うと部活や勉強といった「その時しかできないこと」をもっとやっていればよかったなとも思います。留学とかね。

僕は「運」がドミノ倒しのように広がって、ここまできた。夢や目標をかなえるためには努力は当たり前だけど、運も本当に重要だと思います。好奇心が僕の原動力でもあるから、コマーシャルや映画といった仕事をするようになったけれど、僕の肩書は作詞家。美空ひばりさんという、日本を代表する歌手が僕の詞を歌ってくれたのだから、僕は作詞家なんだって思えるようになったんですよね。

学生のうちは、根拠のない自信を持って「自分は運があるんだ」と自己暗示をかけたらいいと思います。そうすることで運を引き寄せられる。みんな夢や目標に向かって手を伸ばしている時は感触もないし、それがあとどれくらい先にあるのかもわからない。でも手は絶対に下ろさないでほしい。指先からあと1ミリのところにあるかもしれないのだから。


演劇と出会って最初の一歩を踏み出せた
劇作家、演出家・本谷有希子さん

1979年生まれ。近著にエッセー『かみにえともじ』(講談社)

中学校の時に不信感が芽生えて以来、高校生になっても、学校という体制や教師を苦手とする気持ちは変わりませんでした。なぜ勉強が必要なのか教えもしないのに「勉強しろ」と強いられているような気がしてしまったんです。石川県の進学校でしたが、授業中に枕を持ち込んで寝るとか、「そんな一方的な授業じゃ聞かないよ」と挑発をしたこともありました。一方で、テスト前は家で猛勉強。いい点を取り、教師に怒られないように励みました。

演劇部の活動には、主体的に臨んでいましたね。役者をやってみたかったけれど1人で見学する勇気がなく、友人に誘われたふりをして門をたたきました。役者として自己表現するという自分への気恥ずかしさが勝って、音響や照明、演出といった裏方を担当することが多かったのですが。いま生業としている演出という仕事が自己表現になると当時は思わなかった。

その演劇部の一学年上に、役者を目指して上京する先輩が現れたんです。初めて「こういう大人のなり方もあるんだ」と気づきました。自分の心が向くまま、楽しいことだけに取り組む姿が魅力的でした。

1年後、演劇部の同期3人と上京しました。役者で食べていけるとは思わなかったので、周囲を心配させたんじゃないかな。でも自分の人生は自分のもの。未熟なりにも自分の頭で考えて出した結論だから、失敗しても納得ができると思って踏み出しました。最初の一歩は、浅はかでよかったと思っています。


柔道漬けの日々 経営に役立っています
マザーハウス社長・山口絵理子さん

1981年生まれ。国内外に14店舗を展開する

小学校でいじめに遭って不登校になり、中学で非行に走りました。エネルギーが有り余っていたのと、周りの人とうまくコミュニケーションがとれなかったことが原因です。「問題児」と言われても「違う」と伝えられませんでした。

中2で柔道に出合い、身を守るために強くなりたいと柔道漬けになりました。進学した工業高校は柔道の強豪で、女子は私一人、男子は49人。練習相手はいつも男子で平均体重90キロで背も高く、辞めたいと何度も思いました。鼻を骨折し、頭はテーピング、大体どちらかの目の周りが青かった。

続けられたのは、小学校で不登校を克服した経験から。ちょっとずつやっていけばよくなるというのが身に染みていました。練習量では誰にも負けていない。3年生になって前向きに考えて臨んだ全日本ジュニアオリンピックで、7位になりました。

大学に進んで発展途上国に興味を持ち、バングラデシュに渡ったことがきっかけで、今、途上国でバッグや洋服を生産して先進国で販売する会社を経営しています。

経営上のピンチは何度もありましたが、柔道をやっていたことが生きた。個人競技なので、決定力と判断力が大事です。誰も助けてくれない。経営の意思決定に似ています。柔道で大切な「継続」もそう。縫製が上達したとかのりづけがうまくなったとか、蓄積が商品に反映されていきます。

どれも高校時代は想像できなかったことです。そういう意味で、柔道は今の自分にとって、いいトレーニングになったかな。


教科書で知るような偉人たち。きざしは10代で見えた?

孔子(紀元前552〜同479)は17歳で母を亡くした。正妻でなかった母を父の墓に一緒に葬りたいと、道ゆく人に墓所を尋ねて回り探し当てた。同じ年、国の人材登用の宴で追い払われたが、怒りを学問にぶつけ、のちに儒教を残した。
18歳で弟と王位につき、22年にわたってエジプトを治めたクレオパトラ7世(紀元前69〜同30)。絶世の美女として有名だけど、その魅力は性格や知性、話し方やしぐさにあった。「外見より中身」は昔も今も同じだね。
ロンドンに留学した18歳のマハトマ・ガンジー(1869〜1948)は、スーツにシルクハットで英国紳士をまねた。でも人生は変わらないと、徒歩中心の質素な生活に。インド独立運動の一つ「塩の行進」の成功は、この時鍛えた健脚のおかげ?
ガブリエル・シャネル(1883〜1971)が「ラ・ロトンド」で歌手デビューしたのは17歳。持ち歌にちなんだ「ココ、ココ」という喝采が「ココ・シャネル」の由来。取り巻きだった恋人の協力で開いた帽子店こそ世界的ブランドの出発点だった。
14歳の平塚らいてう(1886〜1971)は修身(道徳)の授業をサボり、級友たちと徒党を組むおてんば娘。良妻賢母教育と対立をなす建学精神にひかれ、17歳で日本女子大へ。哲学書や宗教書を読みあさり、女性解放運動に向かっていく。
15人きょうだいの三男に生まれた版画家・棟方志功(1903〜75)は18歳の時、ゴッホの「ひまわり」と運命の出合いを果たす。「ワ(私)だばゴッホになる!」と宣言するほど感銘を受けた志功。燃えるような作風はこの日から始まった?
東京の自動車修理工だった17歳の本田宗一郎(1906〜91)は、関東大震災の混乱に乗じて初めて自動車を運転する。工場では大半が帰省したが、運転が面白くてバリバリ働いた。その感覚を体に染み込ませ、後にホンダを興し、世界へ。
メキシコの画家フリーダ・カーロ(1907〜54)は高校の帰り、バス車内で交通事故に遭い、手すりが左腰から子宮を貫いた。命を取り留めたが、過酷なリハビリと恋人との別れが待っていた。痛みと寂しさを紛らわせようと、絵筆を握った。
レイ・チャールズ(1930〜2004)は、17歳でフロリダを出てシアトルへ。クラブなどで演奏を始める。幼いころに失明したが、何でもやってみないと気が済まず、ドラッグにまで手を染めた。「R&Bの大御所」は、人一倍の好奇心が原動力。
16歳のスティーブ・ジョブズ(1955〜2011)は、無料で電話をかけられる「ブルーボックス」を友人のウォズニアックと発明、ローマ法王にいたずら電話をかけたり、学生たちに高く売りつけたりした。アップル創業は2人のいたずら心が元に。