第三回ゼミ
テーマ

「学ぶことの勇気と流行」

霜 栄(しも さかえ)先生駿台予備学校 現代文科講師

2018年2月5日(月)、駿台お茶の水センタービルにて、『知の広場』リレーゼミの第三回が開催された。「学ぶ」ということをテーマに、毎日学校で勉強する高校生にとって、とても興味深いテーマで授業を行ったのは、駿台予備学校現代文講師の霜栄先生。古代ギリシアから現代までの学びの変遷を振り返りつつ、2021年に予定されている大学入試改革でセンター試験の後継となる「大学入学共通テスト」について触れた。以下に本授業の趣旨を紹介する。

学びの原点は「言葉」と「道具」を学ぶことから

なぜ人は学ぶのでしょうか。私は「自分が持っている今の限界を壊して自由になるため」だと思っています。だから、学ぶためにはそれなりの労力も必要です。そして人類は学ぶという宿命を背負って生まれて来たのでしょう。

人類の歴史を辿ると、およそ500万年前に、樹上から地上に降り、二足歩行に移行しました。しかし地上には猛獣という敵が暮らしています。だから人間は、猛獣から命を守らなければなりません。

そこでうまく役立ったのが言葉と道具です。もちろん生物は、役立つものを手に入れるために進化することなどできません。言葉の始まりは、祈りや叫びといった詩的言語だったでしょう。猛獣に一人で立ち向かうことはできないため他者と協働し、連携プレイを行う必要がありました。その際、仲間とコミュニケーションを取る手段として、祈りや叫びのためにあった言葉が偶然役立ったのです。また、二足歩行により空いた両手で、道具を使うことができるようになりました。こういうわけで、学びの原点は言葉と道具を学ぶことでした。

言葉を学ぶということは、名前を付け、自分とそれらを区別していくことです。机といすを分ける。さらに机とテーブルを、椅子とソファを分ける。こうして身の回りの世界を分けて成長していきます。そしてこれが「分かる」という言葉にもつながっています。サイエンス「科学(=分科の学)」の語源も「分かる」という意味です。分かったと叫ぶのは、それが何の要素でできていて、どんな秩序で存在しているのかを理解した瞬間です。例えば、物質を化学式で表してみる。そうすると何の要素と何の要素がどのようにつながっているかが分かるわけです。また、道具を使って日常の困難に対処し、世界を解釈し環境を変えていく。これは現在の科学技術の原型ではないでしょうか。

言語と道具は一言で言えば「メディア」と言えます。メディア「media」と は、「間にあるもの」を意味する「medium」の複数形です。言語は、私とあなた、彼と彼女、いろいろな人間の間で交わされます。道具も同じ。私と土、私と岩、私と植物の間で作用します。つまり、人間の学びの始まりが、メディアの始まりでもあったと言えるでしょう。厳しい環境の中で、世界を解釈し、現実を変えるために、人間は言葉で連携し合い道具で対処して生きてきた。それが人類の学びなのです。

2018年度リレーゼミ採録