第五回ゼミ
テーマ

「わからないということの感触」

最首悟先生駿台予備学校 論文科講師

2018年2月10日(土)、駿台お茶のお水センタービルにて2018年の最終回となる『知の広場』が開催されました。この日のテーマは「わからないということの感触」。駿台予備学校で論文科講師を務める最首悟先生が、「いのち」について高校生に問いました。

いのちがわかっていることは、私たちもわかっている

私は「いのち」を世界そのもの、あるいは場という問題として扱っています。いのちというとなんだかわかりませんが、千切っても、千切っても性質が変わらない餅のようなものが、私たちのいのちなのです。私たち一人ひとりがいのちなのです。だからいのちがきちんとわかっていることを、私たちもわかっているはずです。しかしそれは無意識の中にあって、言葉にはできない。「なぜ人を殺してはいけないか」という回答と同様、実は私たちの無意識の中にそれはあって、その土台の上で私たちは暮らしているのです。

言葉にならない、というのが難しい。「わかる」とか「考える」とかはすべて言葉を使って行っています。言葉以外で何かすることを私たちは「感じる」、「気配」、「気分」などと表し、こうした言葉にならない何かに従って私たちは動いています。この「言葉じゃない問題がある」ということにまずはぜひ気づいて欲しい。それを言い出したのがフロイトです。無意識は大問題で、ショックそのものですが、それに応じて学問が発達するわけです。

藤村操という学生は16歳8カ月で華厳の滝に飛び込んで自殺したのですが、そのときに「死を決して岩の上に立ったら平安が訪れた」と書き残しています。そこまでしなければ平安はないのかと思ってしまいますが……。「もうどうしようもない」という状態の、途方にくれたときの、何があっても驚かない、その状態が「平安」なのかもしれません。おそらく、無意識の中に下りていった中に、平安や希望があるのではないか、ということです。

2018年度リレーゼミ採録