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「わたしの一生を左右した存在−それがアトムだ」
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| 1964年 デビュー作『ピアの肖像』で第1回講談社新人漫画賞を受賞。『あした輝く』、『アリエスの乙女たち』、『あすなろ坂』、『天上の虹』(現在連載中)を始めととする数々の名作を生み出し、世代を超え数多くの女性に感動を与える。歴史を扱った作品も多い。 |
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わたしがはじめて手塚治虫作品と出会ったのは「なかよし」創刊の年に連載がはじまった「とんから谷物語」だった。その時わたしは小学校に入学したばかり。小学校に入学すると親が「とりあえず子供向けの月刊誌を毎月一冊買ってあげる」というので、親と一緒に本屋さんへ行き「なかよし」を選んだ。グラビアページや絵物語につづいて、マンガのページがはじまる。その筆頭が「とんから谷物語」だった。カラー8ページで一回分。ダムの底に沈む予定の“とんから谷”にすむ動物や植物と、東京大空襲の炎で目が不自由になったヒロインの少女との交流を描いた作品だ。ストーリーのおもしろさと、生き生きと描かれた動物や植物のキャラクターの多彩さ、そしてヒロインの美しさにひかれて、8ページの作品を何度も何度も読みなおした。
次の日、また本屋へ行った。平台に並べてある子供向け月刊誌をぱらぱらめくると、ほとんどすべての雑誌に「手塚治虫」という人の描いたマンガが連載されている。「とんから谷物語」以外の作品も読みたくてしかたがないが、とても全部の雑誌を買ってもらうわけにはいかない。そこで「貸本屋さん」へ行くことを思いついた。
貸本屋さんは宝の山だった。女の子にもかかわらず、わたしは「手塚治虫」という名にひかれて、少年雑誌や単行本もかたっぱしから借りた。そうして出会ったのが「ジャングル大帝」「鉄腕アトム」だった。小学校高学年から中学生になるにつれ、わたしの中で「手塚治虫」という存在はどんどん大きくなっていった。「施風Z」にそこはかとなく心ときめく色気を感じ、「火の鳥、ギリシャ・ローマ編」は、夢に出てくるほどのあこがれをかきたてられ、「ライオンブックスシリーズ」は一生の宝物と位置づけ、SFマガジンに連載された一話完結の大人っぽい本格SFは「天才ここにあり」と確信させ…ああ、ひとつひとつあげていたらキリがない。「虹のとりで」や「光」は、ページをまるごと描きうつして「漫画家修行の原点」みたいなこともした。数多くの作品の中でずっとわたしの「作品賞ナンバーワン」は「ジャングル大帝」で「ヒーローナンバーワン」は「鉄腕アトム」だった。
小学校高学年のころ、「鉄腕アトム」は大人たちの攻撃の的になった。マンガ全体が「子供に悪影響をおよぼすもの」として攻撃されたのだが「鉄腕アトム」が非難されるなんて、わたしには理不尽としか思えなかった。
少女期のわたしにとってアトムは「心のお手本」だった。世間にはびこる「正義の味方は最初から正しくて、悪人は最初から悪人で、正義は必ず勝ち、悪は滅びる」という単純な図式とはちがった世界がそこにあった。映画館の中では「インディアンは理由もなく悪いやつ」「悪代官は追いつめられてはじめてあやまる」という、ばかばかしい常識が大手をふってまかりとおっていた。そこには「人の心」はなく、「人の立場」があるだけだった。
それらにくらべて「鉄腕アトム」では、「悪役ロボット」がなぜそのような行動をするのか理由がちゃんと描かれていた。ひとりよがりの博士につくられたロボットは、何も知らないまっ白な心に「教育」という形で、ゆがんだものの見方を植えつけられていく。彼は自分のしていることが「悪事」とは思わず、彼なりの正義だと思い込んでいる。ところが、争うことでアトムと触れあい、自我に目覚め客観性をもつようになる。その時はじめて自分のしていたことの意味を知る。反省し悩み苦しみ、つぐないようのない罪の意識に責められる。こういう「悪役ロボット」に感情移入した読者(たとえば少女のころのわたし)は、他者の立場を理解し、その上で歩みよらなければ真のやさしさとはいえない、と気づく。実行できるかどうかは人間の器の大きさにかかわっているので、少女のころのわたしはとてもそんな立派な行動はとれなかったのだが、それでも「人の立場になってものごとを考えなくてはいけないのだ」という、大切なことを心にきざみつけた。アトムが心を育ててくれたのだ。しかし―
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大人たちは「鉄腕アトム」を攻撃した。子供たちの心に悪影響を与える作品だというのだ。その理由は 1、ロボット同士で戦う、これは残酷である。 2、近未来といえどもロボットがしゃべったり自分で考えたり悩んだり、こんなことが現実に起こり得ると子供たちが信じたとしたら非科学的すぎる。 3、マンガは誰が読んでもわかりやすい。わかりやすいものと接していると脳の発達が阻害される。脳の発達というのは難しい訳のわからないものと接していて果たして発達するのだろうか?感動する気持ちこそが人を人間たらしめると思う。大人たちが鉄腕アトムをはじめとする多くのマンガ本を捨てたり燃やしたりするのが悲しかった。人を見かけで差別しないようにしようと掲げておきながら、マンガだというだけでくだらないときめつけるのは差別。大人は、言ってることとしていることが違う。10歳ぐらいで大人は嘘をつくのだと大人不信が大きくなった。分かってもらえない悲しさを知ることで自分が分からず屋になったとき相手がどんなに悲しいだろうことを知っていく。マンガは、キャラクターと一体となって感情移入できる。他者の立場を理解しようとする気持ちを育ててくれた。これだけの感動を与えてくれた漫画家にあこがれた。あこがれた挙句に、自らの力をかえりみず漫画家をめざしたということだ。一人でも多くの味方がいた方が、この世界が滅ぼされなくてすむ、という大げさだが子供なりの必死の覚悟の上での選択だった。これがすでにもてはやされている世界だったら、わたしは一生熱心なファンで終わったかも知れない。「不当にしいたげられている世界」だと思ったからこそ、身も心もこのために捧げたいと願ったのだ。わたしの一生を左右した存在―それがアトムだ。
(文章内の各画像は里中先生所有の手塚作品の表紙です)
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