



豊かな感性は、人生もまた豊かにしてくれます。11月6日、跡見学園女子大学では、表現者として活躍している3人の女性をゲストに招きシンポジウムを行いました。社会やプライベートで自分らしく輝くためにはどうすればいいのか。そのヒントは「表現力」と「発信力」にありました。
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山崎 みなさんにとって表現とはどのようなものですか。
高木 私は言葉で表現するのが仕事です。1対1のこともあれば、テレビなどのように不特定多数の人を相手にすることもあります。目の前の人と話すときは、相手の表情を見ながら自由に会話が楽しめますが、顔の見えない相手に対しては手探りになってしまいます。さまざまな失敗のなかで私なりに見つけた答えは、「言葉は常に誤解を伴うものだ」ということでした。相手を意識しすぎると、「私」という個性をなくしてしまいます。「私」がない言葉は無力です。また、強い思いを込めれば少ない言葉でも伝わるし、むしろ誤解も少なかったりするんです。そうした言葉の不思議さを常々感じています。
小松 私は子どもの頃勉強が好きで、自分はできるという自負がありました。ところが受験に失敗し、自信を喪失します。その失敗を糧にできず、将来の自分の進む道を探すことからも逃げてしまった。20代になると、青春を謳歌しながら、一方で「私は人生の挫折者だ」と思いつめ、やがて自律神経の病気になりました。そして、思い始めたのが「どんなに時間がかかっても自分を表現する方法を見つけたい」ということでした。そこで、「一番好きなものは何か」と考え、真っ先に思いついたのは「本を読むこと」だったのです。それが、自分も本を書くことができないかという思いへと昇華し、作家の世界へ飛び込む動機となりました。取材をし、素直な思いを言葉にする。それが今の私の表現の基本です。
青木 私は能と現代音楽による新しい表現芸術を模索しています。大学で能楽を専攻したのですが、同級生はみんな男性で家元の人ばかり。「女性で、しかも家元の子ではない」というのは大きなハンディキャップでした。今はむしろそうしたマイノリティーであることを逆手にとって、私にしかできないことを表現したいと思っています。
高木 好きなことを見つけられる人は幸せですよね。今の若い世代は、子どもの頃、自分が発言する前に大人が先回りしてしまうので、わかってもらおうともがいた経験が少ないようで、「自由にやりなさい」と言われても方法がわからないという悩みを打ち明けられます。ですから、まずは「自分を表現していいんだよ」ということを伝える必要があると思います。
青木 そうですね。そのとき大切なのは「自分の思い」だと思います。私の場合、女性だからこそできること、他の人はなかなか踏み出せないこと、そういう視点をもつようにしています。
小松 「言葉」は、ときに凶器にもなります。私は、自分はインタビュー相手の思いを伝える「触媒」だと思っていますが、だからこそ、受け取った言葉をどう扱うか、自分が書いた文章がテーマである人たちや読者にどのような影響を与えるか、常に意識して書くようにしています。自由な表現には、責任も伴うと思うのです。
山崎 みなさんに共通しているのは、「私が私であること」が出発点になっていることではないでしょうか。その表現力を高め、豊かにする秘訣は何ですか。
小松 人間にとって最もすばらしい能力は、イマジネーションだと思います。想像力を駆使すれば、自分らしい表現とは何なのかと、際限なく探すことができます。ただ流れに身を任せるのではなく、考える時間をもつことが表現の発露になるのではと思っています。
青木 私が心がけているのは、本物に触れることです。大学では人間国宝の先生や家元、または息子さんやお孫さんたちと同じ空気を吸うことができました。その経験から得たものは実に大きかったんですね。今も第一線で活躍している方とご一緒させていただき、常にセンターに近いところに身を置くようにしています。
高木 日本はいま、いい意味での「調和を重んじる」気風が形骸化してしまって、「KY(空気が読めない)」に代表されるような予定調和コミュニケーションが多くなっていると思うんです。でも、そこで「私は違う意見です」と言えるようになったとき、その人の表現は高まっていくのではないでしょうか。お互いの表現を大切にできるあり方とは、「人間だから、人それぞれ違って当たり前」と共感することだと思うんです。人には「表現」という宝物が埋まっています。それはお互いの関係性の中で浅いところで終わってしまう場合もあるし、深いところからキラキラ輝くものが出てくることもあります。
小松 確かに日本は協調性を重んじる社会ですよね。一方、私がテーマにしている人物は「異端」と呼ばれる方が多いのですが、彼らに向き合うと「人と違う発想・表現ができることが一つの才能なのだ」と思い当たります。
青木 そうですね。表現者として他の人と違うのは大切な要素だと思います。たとえば世阿弥だって当時は大変な異端だったと思うんです。私のしていることももしかしたら変わっているかもしれませんが、私は新しいことをするときに他の人がどう思うかはあまり気にしません。仕事でご一緒する現代作曲家にしても、組みたいと思うのは化学反応がおこって新しい世界が見えてきそうな人たちばかり。
小松 区別や差別のない自由な心こそ、面白いことやものに出合う機会をもたらすのかもしれませんね。まずは否定をしない。制約のない発想こそ、表現の原点だと思います。
山崎 異端という言葉が出ましたが、異端と正統の境界に表現の面白さがあるかもしれませんね。最後に表現を通して文化創造にかかわろうとしている若い人にアドバイスをいただきたいと思います。
高木 表現というと遠い言葉に感じられるかもしれませんが、一つひとつの行動も表現です。自然の中で暮らしていると、同じものは何一つないんですね。そういう違いを肯定できるようになったとき、個性に対する受容体が増え、表現にも広がりがでるのではないかと思います。
小松 私は、どんなことでもいいから一つでも好きなものを見つけることが大切なのだと思っています。そして、それに向き合う自分を作ること。好きなことでスタートを切ったら、そこからアドベンチャーが始まります。好きなことでなら努力も惜しまないし、冒険も怖くはありません。
青木 自分の良さを消してまで頑張るのではなく、自分の良さが伸びるようにしていけるといいですね。
山崎 皆さんの話を聞いて、赤ちゃんを思い浮かべました。あの笑顔、あの泣き顔。表現はもうそこから始まっているんです。人生そのものが表現であるならば、これからはその一つひとつを刻印していく作業になるのではないか。そのように思います。本日はどうもありがとうございました。





