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伎楽の奨励者とされる聖徳太子
「太子伝暦」によれば、聖徳太子は伎楽を学ぶ者に課役免除の特典を与えて保護したらしい。
飛鳥・奈良時代に栄えた伝統の舞踏劇、伎楽。その日本における歴史は、今から約1400年前、推古天皇の時代に始まります。「日本書紀」には、百済の国から来た味摩之(みまし)という人が、飛鳥の桜井で少年たちに伎楽を教えた、という記述が残っています。また、伎楽の奨励者は聖徳太子だった、という史料もあります。聖徳太子は、桜井に日本初の演劇学校であり国立劇場である「楽戸(がっこ)」を開き、味摩之と少年たちを住まわせ、伎楽を習得させたのだそうです。
奈良県桜井市の「土舞台」は、その楽戸があった場所とされる史跡です。万葉集に詠まれた大和三山をのぞみ、近隣には国造り神話にまつわる神社も残っています。今秋、この土舞台で初めて、天理大学雅楽部による伎楽の特別上演が行われました。長い時を経て、復元された伎楽が故郷に帰ってきたのです。
日本書紀に残る「桜井」の地名 |
土舞台 |
奈良時代まで伎楽に使われていた楽器は、鉦盤(しょうばん)と腰鼓(ようこ)という2種類の打楽器、そして6つの孔(あな)を持つ簡単な竹笛だけだったそうです。その後、平安時代になると笛は7孔の横笛に変わり、三ノ鼓(さんのつづみ)、銅拍子も加わりました。
奈良時代までは隆盛を極めた伎楽ですが、平安時代に入ると徐々に衰退してしまい、当時の楽譜は残っていません。残っている最古の楽譜は、平安末期のもの。その頃雅楽の主流だった「唐楽(とうがく・中国や天竺などから伝来した音楽)」の影響が濃く、本来の伎楽とは異なる音楽だと言われています。
伎楽の復曲を行なったのは、元宮内庁楽部楽師・芝 祐靖(しば すけやす)氏です。「参考にしたのは、日本最古の音楽書と言われる『五重・十操記』です。この書には、不謹慎な音楽を戒める言葉や、指をひらめかせて笛を吹いてはいけない、という注意が書かれています。当時朝廷は、格調高い雅楽を奨励し、伎楽を排斥していました。つまり、ここで悪く書かれている音楽こそ伎楽に違いない、と思うのです。伎楽は一般大衆に愛された、にぎやかで明るい音楽だったはずです」
伎楽が流行したのは、飢饉や疫病などの苦難も多かった時代です。人々は楽しげな調べに耳を傾けて、しばし憂き世を忘れたのかもしれません。芝氏によって復曲された伎楽は20曲ほど。文献に残るすべての曲がそろいました。