
難関ではない社会人入試。ポイントは志望動機と論理性
大学院には興味はあるが、簡単には入学できないと考えている人がいるかもしれない。社会人入試であれば、誰でも入学できるとは限らないが、学生よりも有利な条件でトライできるのである。

学校基本調査によれば、2012年度に大学院に入学した社会人は1万6481人。そのうち修士課程の修了が入学要件である博士課程後期の入学者は5804人なので、初めて大学院に入学した社会人は1万677人ということになる。優秀な実績を持つ社会人の場合、いきなり博士後期課程に「飛び入学」するケースもあるので、「初めて」の実数はこれよりも多いと考えられる。
特に03年度に専門職大学院がスタートしてから、大学院に入学する社会人が急増した。大学院に在籍する社会人の比率を見ると、修士課程と博士課程合わせて20.6%に達している。大学院の院生10人のうち、2人強が社会人ということになる。
すでに大学進学率は50%を超えており、学士号は珍しくない。しかも、ビジネスは高度化しており、大学教育だけで十分とは言えなくなってきた。近い将来は欧米のように、マスターやドクターの学位を名刺に表記するビジネスマンも珍しくない時代がやってくる可能性は高いのである。
ただし、学部の上位にあたる大学院だけに、入試はかなり難しいと考えている人も多いのではないだろうか。もちろん誰でも入学できるとはいわないが、社会人特別選抜、通称・社会人入試を導入している大学院であれば、少なくとも受験準備は一般の学生よりも楽なのである。
この社会人特別選抜は、大学院にもよるが、大卒後数年の職務経験を持つことが基本的な要件となる。まず書類選抜では願書、卒業証明書、研究計画書あるいは志望理由書など。これを提出して認められれば、次は大学院での受験となるが、内容は小論文に面接程度。中には英語の試験を課す大学院もあるのだが、社会人の場合は得点をそれほど重視しないという研究科もあるという。
少なくとも、学部入試のような筆記の学科試験は基本的に課されないのである。法科大学院の既修者コースだけは本格的な法律科目試験をクリアしなければならないが、未修者に比べて履修期間を1年間短縮できるので、これは仕方がないというほかない。
そのかわりに、大学院では「研究計画書」と呼ばれる特有の提出書類が必要になることが多い。大学院は学部でなく「研究科」と呼ばれるように、基本的には何らかの専門的な研究を行い、修士論文を仕上げてようやく修士号が授与される。学部のように無目的でも入学させてくれるわけではなく、特定の研究目的が必要であり、それを入学前に説明したものが研究計画書というわけだ。
だから、その大学院の興味をひくような研究内容でなければ、入学は難しくなる。また、文章や論理構成が稚拙な場合も、大学院の入学レベルに達していないと判断される。
とはいっても、専門職大学院の場合は研究者・教員の養成ではなく、高度専門職業人の養成を主眼としているため、この研究計画書を要求しない大学院もあるほか(志望理由書などは必要)、修士論文が必須ではないところも珍しくない。
法科大学院であれば、基本的に研究計画書は必要なく、そのかわりにパーソナル・ステートメントと呼ばれる志望理由書を提出する。
となれば、準備が必要になるのは、研究計画書または志望理由書と、大学院での面接と小論文くらいしかない。つまり、論理的な文章が書けて、明瞭に話す能力さえあれば、特に準備がなくても合格は不可能ではないのである。

とはいえ、企画書や文章を日常的に書いているという社会人はそれほど多くはないだろう。ブログにしても、日記や感想程度のものでは、大学院で要求される論理的な文章力は身につかない。入試の文章は審査官が読み、納得してもらわなくてはならないので、独善的な文章では通用しないのである。
この対策としては、まず友人などに志望理由書を読んでもらい、批評してもらうといい。自分では十分に書き上げたつもりでも、平板で説得力のない文章構成だったり、論理の飛躍は案外多いからだ。
大学院では、その大学院にとって興味深く、研究成果をもたらすような体験や根拠、テーマを求めている。でなければ、わざわざ社会人特別選抜など実施しない。自分の仕事内容をズラズラ並べるのでなく、こうした体験に基づき、こうした研究をしたいから入学を希望するというロジックで、大学院が興味を持ちそうな人材であることを表現することがポイントだ。
研究計画書がなく、小論文や面接で済む場合も、その基本となるのは志望理由書だから、これがきちんと書ければほぼ入学できたと同じとすら考えていい。
この文章添削と研究計画書などを指導してくれる社会人予備校もいくつかあるので、心配なら、その講座を受講するというのも現実的な方法だ。
だが、第三者も社会人予備校も、文章的な添削や論理的な書き方は指導してくれるが、内容を高めていくことは本人にしかできない。この場合の内容とは、志望する「理由」であり、研究する「内容」だ。なぜ大学院に行って、より高度な勉強がしたいのか。
ある社会人院生は、志望理由書に取り組む前に、「自分がしてきた業務を、まず棚卸しすることから始めました」という。どんな仕事をしてきたのか、それは会社の中で、社会の中でどんな意義があったのか。その仕事で、どんな理由で何を感じたり、考えてきたのか。
いわば自分の過去としっかりと向き合い、様々な方向から光をあてていく作業といえるかもしれない。それらをメモとして書き出し、客観的に見直すことで、自分にとっての大学院で学ぶ価値や意義を発見するのである。
これは何も大学院入学に限らず、やっておいて無駄なことではない。毎日毎日の仕事はどうしても視野が狭くなりがちで、深く、あるいは大きく捉え直す余裕が持てないことが普通だ。3年おき、または5年おきといった定期的に、この「棚卸し」は必要なことではないだろうか。時には、その「棚卸し」から違う人生を選択することもあるかもしれない。曖昧ではっきりしない不満感や不安の本質が、その「棚卸し」によって発見できることもある。
また、修士論文を書く場合はその指導教授を選ばなければならない。指導教授から、自分が目指す研究の方向性や方法、参考資料など様々なアドバイスを受けるので、大学院選びと同等に、指導教員を選ぶことは重要になるわけだ。このため、ある社会人院生は学会で発表された論文や、専門誌に掲載された論文などを半年かけて読み、自分の指導教員を選んだという。一方、ビジネススクールに入学した社会人は、面接試験の前に教授陣の著書を一通り読んだ。「一般書と違って難解だったけど、授業を予習するつもりで頑張って読みました。入学後はそのレベルに着いていかないといけないわけですからね」と話していたが、これはビジネススクールだけでなく、ほかの分野の大学院でも同様と言えるだろう。