


「蜷川さんの写真を見ると元気になる」「癒される」という言葉をいただくと、とてもうれしい反面、不思議な気持ちがします。写真を撮る時、私自身は目の前の風景やその瞬間に純粋に感動してシャッターを押しているだけ。自分が感じたこと以外は作品に入り込まないほうが良いと思っているので、撮っている間は写真を見てくださる方たちのことは考えていません。ちなみにこんな新しいことをやってみよう、こういう作品はまだ誰も撮ったことがないから開拓してみよう、という思いでシャッターを押すことはありません。新しいことをやろうと意識すると、「あざとくなる」と思うから。好きなものを撮っていたら結果的に新しい表現として評価をいただいた、というのが正直なところです。
こんな派手な色のものを撮ったら面白いかな、驚かれるかしら、なども 考えません。誤解されることが多いのですが、私の作品はデジカメで撮って色の操作をした写真ではなく、すべてフィルムで撮ったもの。実際にカメラをのぞくと、こんな色の世界が存在するのです。皆さんが気づいていないだけなのだと思います。

もともと私は、写真とはこうでなくてはいけない、という思い込みを持っていません。「写真は独学でいい」と思っていたので、大学でも写真学科には入りませんでした。仕事を始めてからある入門書を見ると、ボケやブレ、見せたいものが中心に来ていない、など「やってはいけないこと」が色々と載っていましたが、私はそのすべてをやっていて驚きました。それも意図的だったのではなく、感じるままに夢中でシャッターを押していただけなのです。ある賞を受賞した時は「こんなにピントの合っていない写真が、賞を取るなんて」というクレームがたくさんきました。自分の写真をグッズにした時も、眉をひそめる人が多かった。でも、私は「いいじゃない、私の写真がたくさんの人の生活の中に入って行くなんて、ステキじゃない」と思ったのです。
私も、思春期の頃は人と同じ格好をしないと浮くんじゃないか、と気になったこともありました。ただ、デビュー当時に同年代の女性写真家たちと一時のブームのように扱われたり、「蜷川幸雄の娘」として紹介されたりすることが多かったので、自分の個性とは何か、「蜷川実花」を認知してもらうにはどうすればいいか、ずいぶん考えました。だから今も、写真を撮った後はどれを発表するか、どのように見せるか、策を巡らせます。撮っている間の私と撮った後の私は“真逆”なんです。