2004年4月から2年間、コスタリカ工科大学の環境保護研究センターで危険廃棄物管理に関する協力活動や環境教育活動を行った原田勝征さん。海外生活への憧れとともに、喜ぶ人の顔が直接見られる仕事をしてみたいという思いからシニア海外ボランティアに応募。なんと定年退職した日の翌日には、成田空港からコスタリカへと飛び立っていたという。「想像していた以上の大きな成果を得ることができた」という原田さんに、現地での具体的な活動や成果、そしてボランティア活動の魅力について語っていただいた。

原田勝征さん
私は、通信関連企業の研究所で25年間、研究成生活を送り、その後グループ企業で環境管理の仕事をしました。定年後も嘱託としてしばらくは仕事が続くと漠然と考えていたのですが、定年間近の頃がちょうどITバブルの崩壊と重なって会社の業績が悪化し、退職せざるを得ませんでした。多少落胆はしましたが、逆にこれまでと違った活動をするチャンスだという思いもありました。そんな時に、電車の車内広告でJICAのシニア海外ボランティア募集の広告を見つけたのです。密かに抱いていた一生に一度は外国で暮らしてみたいという思いや、長年の研究生活では味わえなかった直接人に喜んでもらう仕事への憧れが現実のものとなるかもしれない。そう思った私は早速、説明会に参加。1年に2回募集があるので、2〜3回応募して駄目ならあきらめて他の道を探ろうと応募することにしました。
どのような協力活動に応募するかに関しては、私は専門が化学で、環境マネジメントシステムのISO14001の社内システム作りや管理の仕事の経験、公害防止管理者や衛生管理者の資格もあったため、「環境」をキーワードで探したところ、コスタリカの危険廃棄物管理の要請を見つけ、応募することにしました。特に英語の試験は不安だったのですが、幸いにも合格。それから3月末の定年退職、4月の赴任まであわただしい日々が続きました。
合格直後は喜びでいっぱいだったものの、いざ赴任するとなると次第に数々の不安が頭をよぎってきました。まずは、単身赴任の経験もない私が果たして異国の地で一人で暮らせるのかということ。そして、語学に自信のない私がスペイン語圏のコスタリカでやっていけるのかという恐怖に近い不安。安全面は問題ないのかということ。そして何よりも与えられたミッションをこなせるだろうか、必要な情報をどうやって得られるのだろうかという活動そのものへの不安もありました。

出来上がった有害金属処理用反応槽

感謝記念碑を一緒に仕事した先生たちと囲んで
私の赴任先は 首都のサンホセから車で40分くらい離れたカルタゴ市にある国立のコスタリカ工科大学。要請内容は、(1)学内の研究室より排出される水質汚染物質の分析調査、(2)化学的処理法の指導、(3)市内の化学工場への処理法の普及、(4)地域における環境教育の4点でした。すべてやろうとすると5年や10年はすぐに過ぎてしまうくらいの任務です。実際、当初予定されていた1年間では足らず、延長申請をして2年目からは妻を呼び寄せることにしました。
コスタリカは日本のほぼ裏側に位置する観光立国です。豊かな自然の中にたくさんの種類の動植物が生息する美しい国で、ハイキングやつりに行くのが何よりの楽しみでした。安全面に関する不安も杞憂と判明。気候も1年中過ごしやすく、居心地は最高でした。人口の99%がキリスト教徒ということもあってか、何よりも人が穏やかで優しい。滞在中に喧嘩の場面を見たことがありませんでした。
しかし、のんびりとしたお国柄は、仕事上、多少のネックになりました。なにしろ、こちらが「さあ、始めよう」と張り切っても、「マニャーナ、マニャーナ(明日、明日)」と先送りしてちっとも前に進みません。日本との文化の違いに驚く日々でした。それでも、私は有害廃棄物の処理システムを作り上げる責任があります。なんとか先生たちを引き込み、作業に取りかかりました。会社員時代の知識と経験を総動員し、水銀やカドミウムなどの液体の重金属はフェライト法での処理に決め、実際に行っている日本の大学にメールで連絡を取り、処理条件などを教えてもらいました。固形物は溶出試験にパスする条件を実験で求めて、セメントで固める方法を採用。問題は、液体と固形物を分けるろ過でした。まともに機械を導入したら莫大なお金がかかるし、維持も大変です。さてどうしたものかと考えたところ、ふと子どもの頃に遊びで竹筒に砂を入れてろ過したことを思い出し、この発想を利用して砂ろ過の装置を作ることにしたところ、原始的ではありますが、とても現場にあった良い装置を完成することができました。

試行錯誤の末、やっと有害廃棄物処理場が完成。ここに、大学で排出する有害物質処理の見通しが立つと同時に、企業への指導が行える土壌も整いました。最先端の技術を駆使したものではなく、私が30年も前の経験に基づいて設計した装置ではありますが、私が帰国後も彼らの力と経済力で維持、改良していける彼らの目線に合った支援ができたことに大きな満足を感じました。
処理場の開会式は帰国の直前と決定。その場を借りて日本文化の紹介もしたいと考え、妻が三味線を披露し、シニア海外ボランティアの同僚の奥様にお茶会を開催してもらったところ、参加者に大変喜んでもらうことができました。
続く除幕式では日本大使と一緒に私が呼ばれ、入口付近に掛けてあった白い布をはずしました。そのとたん、大理石のプレートに刻まれた私の名前が目に飛び込んできました。よく見ると、「JICAとDr.Katsuhiro Haradaの価値ある協力に感謝する」と書かれてあり、驚きとうれしさで胸がいっぱいになってしまいました。この時の感動は私の一生の宝物となりました。
危険廃棄物処理の仕事のほか、環境教育にも携わりました。コスタリカの人たちは、日本でカネミ油症事件を起こした有毒なPCBという危険物質をクリーム代わりに平気で腕に塗ったりするなど、危機意識がない。そんな彼らを見て、その意識を変えていく必要性を強く感じたからです。そこで、四大公害で大きな犠牲を払った日本の経験や環境省が認証しているエコアクション21を紹介するスピーチを大学や大使館セミナーで行いました。しかし、こうした活動は動き出したばかり。ぜひ、今後ともこれらの活動を継続、発展させていってほしいと願っています。
2年間のボランティア活動を振り返ってみて思うことは、柔軟な発想を持つことの大切さです。現地に行けば、必ずギャップはあります。そこで自分の専門性にこだわってしまうと何もできなくなってしまう。困難に直面しても、こちらが学ばせてもらうという気持ちで自分のできることを自由な発想で行っていけば、必ずや成果につながっていくと思います。
ボランティア活動の最大の魅力は、金銭的なものには変えることのできない「無形の報酬」が得られること。それは、多くの素晴らしい出会い、貴重な経験、達成感など、人によって様々でしょうが、参加した人にしか得ることができないものです。みなさんも、思い切って一歩踏み出し、ボランティアの醍醐味を味わってみてはいかがでしょうか。
※原田さんが、これからシニア海外ボランティアを目指す方々を念頭に、ここに紹介したコスタリカでの生活や活動、事前準備などについて執筆した「プラ・ビダ コスタリカ」が文芸社より出版されています。興味をお持ちの方はあわせてご覧下さい。