2007年〜2009年の2年間、南太平洋の島国・バヌアツ共和国に、都市計画のアドバイザーとして赴任した川口孝太郎さん。「若い頃からの夢がついに叶った」と言う川口さんのボランティア体験は、長らく地方行政に携わる中で蓄えた専門知識だけではなく、特技である剣道五段の腕前も生かす、大変充実したものになったようだ。「苦手だったパソコンが使えるようになったというおまけも」と笑う川口さんに、色々とお話を伺った。

川口孝太郎さん
「海外に出て、人の役に立つ仕事がしたい」という夢が芽生えたのは、高校生の時でした。哲学者や音楽家としての地位も名誉も捨てて一から医学を学び、アフリカで地域住民への医療活動に身を捧げ、「密林の聖者」と呼ばれたシュヴァイツァー博士について知り、彼の生き方に深い感銘を受けたのです。
しかし、実際に私が選んだ職業は公務員。北海道庁で主に都市計画に関わる仕事をした後、生まれ故郷である栗山町の町長を2期8年務めました。いち早く財政再建に主眼を置いた施策を打ち出し、私自身は成果を上げたと自負しているのですが、3度目の選挙の結果は、残念ながら落選でした。
その間、私の海外への思いは消えていませんでした。道庁時代には、フランス政府の援助を得てパリに1年間留学、また、ロシアを始め数カ国へ視察に。栗山町長となってからも、サッカーワールドカップのメキシコチーム合宿誘致を目指すなど、自ら勢力的に諸国を飛び回りました。
町長を退いたことをきっかけに、シニアボランティアへの参加を決めたわけです。ですから、「落選」は残念とばかりも言えません。仮に3期目を務めていたら、長年の夢を叶えるこのチャンスを逃していたかもしれませんから。
経験から得た知識や技術が要求されるシニアボランティアの場合、赴任先はその地域からの要請内容を見て参加希望者が選択し、採用試験を受けることになります。「都市計画」の要請が出ていた4カ国のうち、私は最も小さなバヌアツ共和国を選びました。2年という短い期間で自分の力を十分に発揮し、目に見える、納得のいく成果を上げるには、規模の小さい国のほうが良いと考えのです。
問題は言葉でした。私はフランス語にはまずまず自信があったのですが、英語はまるでダメで、半年あまり、1日数時間の猛勉強をしました。ただ、もともと語学が好きなので、あまり苦には感じなかった。言葉を覚えれば、更に多くの人たちとコミュニケートできるようになる、そう思えば、こんな楽しいことはありませんから。

現地でのプレゼンテーションの様子

日本人の考え方や精神を教える
バヌアツは、世界一人々が幸せに暮らしているともいわれる国。行ってみて納得しました。
この国の人々は、生きるためにあくせく働く必要が、まったくないのです。「衣」は1年中シャツ1枚で事足り、ジャングルは「食」の宝庫で危険な動物もいない。「住」はバナナの葉で屋根を葺いた簡単なもので十分……さながら「エデンの園」で、首都以外ではお金を使うことすらまれです。彼らは日本人の生活を豊かだと言いますが、実は彼らの生活こそ、最高に豊かなのではないでしょうか。
ただ、そんな彼らと一緒に仕事をすると、少々困る点もあります。彼らは時間を守らない、約束を守らない、計画を立てるという発想もほとんどない……私の任務は「都市計画」だというのに。でもそれは無理もありません。あの気候風土の中に暮らす彼らに、それらは必要のない考え方なのです。
日本の中だけで暮らしていると、私たちが当たり前と思うルール、正しいと思う考え方は、絶対的なものに見えてしまう。でも本当は、日本の風土の中で育まれた相対的なものに過ぎません。そして、バヌアツ人の目で、日本や日本人を「相対的に」見直したとき、初めて見えてくるものがあることにも気付きました。
さて、本来のミッションである都市計画の策定については、最初のうち、先方が求めるものと私が考えるものとの間に食い違いがあり、なかなか解消できませんでした。相手の要望を受身に聞くだけでは進まないと判断し、40数年前にある外国人が作ったプランを、現代の実情に合うように作り直してはどうかと、こちらから提案。了承してもらってからは、作業は比較的順調でした。
もう一つ、私が個人的に考えていたミッション、それは人を育てることでした。滞在はわずか2年、その間に私が提供するアイデアや技術は、私が帰国してしまえば、あるいは打ち捨てられ、忘れられるかもしれない。でも、その2年で人を育てることができれば、人材は確実にそこに残る、と考えたのです。
私は、特技の剣道を生かすことにし、仕事前の早朝に稽古を行いました。でも、正直これがきつかった(笑)。私が教えたかったのは剣道の技術ではなく、むしろ、約束を守るとか、決めたことは最後までやり通すといった、日本人の考え方や精神。ですから、私自信が休むわけにいかなかったのです。でも、バヌアツ人、フランス人を含めて10数名が最後まで参加してくれたので、私の目的は、ある程度達成できたのではないかと思います。

剣道の稽古以外にも、私は色々「余計なこと」をして、自分で自分を忙しくしていました。
一つは、バヌアツの共通語であるビスラマ語を覚えたこと。必要に迫られてというより、そのほうが現地の人たちとより親しい関係がつくれると思ったのです。
もう一つは、私の参加を応援してくれた栗山町の人たちに、月2回のレポートを送ったこと。知り合いの発行する新聞に、月1回のコラムも載せました。それまで文章など書いたこともなかった私ですが、書き馴れるとなんとかなっていくもの。ネタ探しは苦労しましたが、おかげで日々新鮮な体験ができたように思います。
帰国後は、若い人たちの前でバヌアツでの体験を語る機会をいただくことがあります。そこで私が強調しているのは、夢は持ち続ければ必ず実現する、ということ。よく言われることではありますが、かつて私は、「そんなことはない」と笑っていました。でも、こうして、自分でそれを実証してしまった。ですから、今は自信を持って、なるべく早く夢を持て、そしてそれを持ち続けろと、アドバイスしているのです。
最後に、同世代のシニアの皆さんにぜひ申し上げたい。知識も経験も、やる気もあって、お孫さんの相手だけでは物足りないと感じている人はたくさんいるはず。でも、あなたの力を活かせる場所がこの日本にありますか?
海外には、あなたを必要としている人たちがいる。あなたが力を発揮すれば、それが人々を喜ばせるのです。
ボランティアというと、電気も水道もないような環境で過酷な作業をするイメージがあるかもしれませんが、ご安心ください。シニアボランティアでは、都会で文明的な生活を送りながら活動することができます。体をこわされたら困りますからね(笑)。
新しい生きがいを求めるシニアの皆さん、ぜひチャレンジしてみてください。