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シニア海外ボランティア体験談 帰国後の生き方や人生までもが変わった貴重な2年間 建築・土木施工(セントルシア)野口烝治さん

 カリブ海に浮かぶ美しい島国セントルシアで、2003年から2年間、建築・土木施工の指導を行った野口烝治(じょうじ)さん。シニア海外ボランティア経験後に「人生が変わった」という野口さんは、現在でも様々なボランティア活動に積極的に関わっている。セントルシアでの活動内容や現地での生活などについてお話をうかがった。

“特別な縁”を感じたセントルシア

インタビュー写真

野口烝治さん

 私がセントルシアという国名を知ったのは、実際に赴任する3、4年前のことでした。音楽大学でピアノの講師をしている妻の教え子が卒業後に青年海外協力隊員としてセントルシアにピアノを教えに行き、私たちに現地の様子を聞かせてくれたり、写真を送ってくれたのがきっかけです。その後、趣味のサックス仲間が演奏している場所でピアノを演奏していた方と話すと、なんと偶然にもその方も青年海外協力隊でセントルシアに行かれていたと伺い、本当に驚きました。彼女に私が建築士であることを話すと、シニア海外ボランティアという制度があってセントルシアで建築・土木施工の指導で募集があるという情報まで教えてくれたのです。私はすっかり、セントルシアという国に特別な縁を感じるとともに、そこに自分が引っぱられているような気持ちになってしまいました。

 その頃の私は、ちょうど定年退職後1年程が過ぎそろそろ暇をもてあましていた時期でもありました。しかしボランティア活動に関しては、経験ゼロ。現役時代は仕事が忙しくボランティア活動について考える暇もありませんでした。でも、今まで自分が仕事でやってきたことの延長線上で社会貢献をすることができるのだったら是非やってみたいと思い、試験を受けてみる決意をしたのです。赴任希望地はセントルシア一国にしぼりました。強い縁を感じていたこともありますし、現役時代に仕事でアメリカ、ヨーロッパ、中近東、東南アジアなど様々な国に行きましたが、カリブには行ったことがなかったため興味を抱いたからでもあります。治安も安全、欧米では有名なリゾート地で大型客船が毎日のようにやってくるという魅力的な場所であるという点にも強くひかれました。

 試験を受けてみてだめだったらきっぱり諦めようと挑戦してみたところ、幸い合格することができました。実は受かるまでは家族には本気で行くとは話していなかったので、合格の通知を受け取って妻に打ち明けたところ、意外にもさほど驚かずに「またですか?」という反応が返ってきました(笑い)。どうやら妻は海外への長期出張が多かった現役時代の延長という感覚だったようです。

立ちはだかった国民性や習慣の違いという壁

現地写真

トニー・アンソニー首相とショゼール漁港贈与式にて

現地写真

工事現場で共に働く村人たち

 いざ、単身での赴任が決まった時も不思議と不安はありませんでした。かつて中東で仕事をしていた際、イラン・イラク戦争に巻き込まれ、自分が手がけた建物を爆撃されて砂漠に逃れて野宿したこともありましたので、あの経験に比べればどこでもやっていけるという自信があったせいかもしれません。それに、セントルシアは英語圏ということで言葉に苦労しないですむという安心感もありました。

 現地に着いてみると、想像していた通りの魅力的な国でした。気候もからっとして心地よいですし、ちょっと音楽が聞こえると自然に踊り出すような陽気な人たちです。私は首府のカストリーズに住みましたが、家は迷わず海の近くに決めました。家のすぐ下で釣りが楽しめますし、一日中海の景色が楽しめるとても気持ちの良い家でした。

 私に課せられた仕事は、社会開発省直轄の貧困撲滅基金でテクニカルオフィサーとして建設施工管理の指導をすることでした。世界銀行からの基金を活用して低所得者の暮らすエリアに建物や生活路の整備を行い、工事には出来るだけ住民に参加してもらい、人々の社会参加を促すことも目的としました。実際、幼稚園や公民館、診療所、コンピューターセンター、道や橋などを造っていきましたが、最初は国民性や習慣の違いという壁にぶつかってしまいました。気候も一年中温暖で、果物など食べ物も豊富な飢えることも凍えることもないのんびりとした土地柄ですので、きちんと計画を立てて物事に取り組むという習慣がもともとないのです。

 建築の仕事は普通、計画を立てて段取りをした上で工程を細かく決めてから着手するものですが、セントルシアではすべてが行き当たりばったり。深く考えずにできることから手を付けていくので、例えば、雨どいを付けようとしたら、通すべき穴がなかったり、後で設計のつじつまが合わなくなってしまうことも度々。会議の決められた集合時間にも誰も集まらず、1時間経って集まれば良い方という状況。どこから手をつけるべきか考えた末、まずは図面を書いて指導書を作って細かく指導することから始め、その後、日本では当たり前の標語であるPDCA(Plan、Do、Check、Action)を徹底するよう地道に指導していきました。すぐに意識を変えていくことは難しいですが、こうした指導を代々の後任者が続けていくことで確実に結果につながると信じています。

世界に目を見開かれ、視野が広がった

インタビュー写真

 このように多少苦労はしましたが、実際に建物を建てながら現地の人とコミュニケーションを深めていくなかで、うれしかったこともたくさんあります。世界銀行からの視察団が来る際に、青年海外協力隊や現地の人たちとみんなでおそろいのTシャツを着て、地域を大掃除し皆に喜ばれたことも楽しい思い出です。また、道の状況が悪く特産物のバナナが運搬中に傷んで商品価値が下がって困るというので、失業者を集めてバナナを運ぶ道を整備したり、輸入するととても高額なバスケットボールのゴールを現地で手に入る材料だけで設計して作って喜んでもらえたのも貴重な経験です。

 趣味の音楽を通じて現地の人と楽しく交流することができたこともうれしかったですね。先ほどお話しした妻の教え子がピアノを教えていた音楽学校に行ってみたところ、なんとその場で校長先生に入学願書を書かされてアメリカ人の先生について、仕事を終わってからの夜のクラスで趣味のサックスを習うことになってしまったのです。おかげで様々な友人を作ることができ、時々一緒にセッションをしたりと楽しく過ごすことができました。その後、音楽学校のホールを改築する資金集めが必要とのことで、私も一肌脱ごうと、妻と娘が休暇で遊びに来た時に家族でチャリティコンサートを開催したことは忘れられない記念となりました。

 この2年間で得たことは本当に数多くあります。まず世界に目を見開き、視野が広がりました。また、セントルシア赴任を機に植民地問題や奴隷制度のことなどに関心を持って勉強するようになりました。前向きな気持ちで日々の生活を楽しめるようになれたことも大きいですね。定年直後に物足りなさや不安を感じていた自分が今では嘘のようです。帰国後は「シニア海外ボランティア経験を活かす会」というNPOに籍を置き現在副理事長を務め、小中学校や生涯学習センターなどで国際理解やキャリア教育の講座を持ったり、シニア海外ボランティア参加希望者の相談に乗ったりしているほか、「神奈川善意通訳の会」の会員としてイベントの通訳や外国人研修生のお世話などをして、充実した日々を過ごしています。今後も健康な身体が続く限り、ボランティア活動を続けていきたいと考えています。

 私が今言えることは、シニア海外ボランティアは人生を変える経験になりうるということです。参加を検討されている方は、2年間のために行くというよりは、その後の自分の人生全体を視野に入れて考えて、ぜひ挑戦していただきたいと思います。

春募集 青年海外協力隊シニア海外ボランティア