
環境教育(ミクロネシア) 高柳 恭子さん
TOKYO FMの環境番組「Hummingbird」のパーソナリティーとして活躍されている高柳恭子さんは、2004年から2年間「環境教育」で青年海外協力隊に参加した。環境に真剣に向き合った2年間の活動で大きな自信を付けた高柳さんは、その後さまざまな環境の仕事に活躍の場を広げている。
私が青年海外協力隊に参加したのは、「環境」について何か実際に自分の手でやってみたいという思いからなんです。TOKYO FMのアナウンサーとして8年間働いてきた中で、環境番組に関わった6年間の経験が、とても私の中で大きくて。それは「将来、環境の仕事をしていきたい」という思いにまで膨らんできました。それで、以前から興味のあった青年海外協力隊を調べていたときに「環境教育」という項目があって、これだ!と。実務経験のない私には、何かまず自分の手を汚して何かやってみないといけないという強い思いがあったんですね。それで、だめでもともとと試験を受けたら、番組の経験を実績として認めてもらえて、コスラエ島への派遣が決まったんです。
会社に「青年海外協力隊でコスラエに行くんで、退職させてください」って辞表を出したら、それは驚かれましたよ。だいたい、そのころは環境について世間の関心も薄くて、環境教育で行くなんて言っても、周りの反応も「はあ?」という感じ。部長もびっくりすると同時に、もともとアナウンサーの数が足りないところに私が辞めるって言い出したもんだから、青くなって。それで、会社に引き止められて、2年間の休職をいただいて現職参加制度で行くことになったんです。親の反対ですか? もう行く2週間前になって報告したから、止める間もないって感じでした(笑)。強引ですよね。

コスラエ島がどこにあるか知っている日本人は、ほとんどいないんじゃないでしょうか。ミクロネシアにある人口8000人ぐらいの小さな島。素晴らしい自然だけで、ほかは何もないのんびりしたところです。英語が通じると言われてきたんですけど、実際は行政機関とかに英語が分かる人がちょっといるだけ。コスラエ語っていう、何にも似てない独自の言葉しか通じない島なんです。その状態で、大家族の現地の家にホームステイですからね、生活は大変でした。それに、環境省に呼ばれたはずなのに、行ったらいきなり仕事がなくて。途上国にありがちな、仕事がないのに予算が欲しくて人を要請してしまう、というケースだったらしいんですよね。「おまえ何ができるんだ?」って聞かれたっきり、あとはほったらかし。言葉は通じないし、仕事がない8ヶ月間は本当につらかったですよ。
でもそこでおめおめと帰るわけにはいかないですからね。言葉を必死で覚えて、仕事を見つけようとがんばりました。それで、そのうち徐々に見えてきた島の問題が「廃棄物」だったんです。ホームステイ先の家で気が付いたんですけど、島の人たちはゴミを何もかも海に捨ててしまうんですよ。昔は、ココナツや草でできたお皿を使っていたからそれでもよかった。でも今は島にも現代の生活様式が入ってきていて、缶やペットボトル、ビンを使っているのに、捨てる習慣は昔のままなんです。いくら私が「海が汚れて、お魚が捕れなくなっちゃうから海に捨てちゃだめ」と言っても、「わかった、わかった」って答えて、また海に捨てちゃう。でも「じゃあどこに捨てたらいいの?」って言われて、はっと気が付いたんです。島には廃棄物処理場がなかったから、ほかに捨てる場所がない。行政だって、道路に積み上げられた廃棄物を、車でガーっと海に捨ててたぐらいですから。それで、まず教育よりインフラを整備しなくちゃと、廃棄物処理場建設プロジェクトを立ち上げたんです。
そこからは苦労の連続でしたね。とりあえず、廃棄物の量を調べないと、処理場の規模が決められないということは分かったんですが、それはもう大変な作業! 島中を回ってゴミを回収して全部の重さを量り、今度はそれを広げて、分別してそれぞれの重さを量るんです。それも1人で! 環境省の職員はみんな大学出身でプライドが高いし、ゴミの仕事に偏見があるしで、誰も手伝ってくれないんですよ。だから、毎日1人で環境省の裏の庭で、全身ゴミまみれの虫まみれ。もう最後は慣れましたけど、きつかったですね、あのころは。それだけに、その作業を終えて資金をなんとかODAから調達することに成功して、廃棄物処理場の建設に着手できたときの喜びはひとしおでした。
振り返ってみると、コスラエでの2年間は、本当に何ものにも代えがたい貴重な日々でした。確かに、生活は厳しくて、食事は虫だらけの白米にコンビーフが朝昼晩出てくるだけだし、シャワーもコーヒーみたいに真っ黒な水。栄養足りなくて、歯が2本欠けましたから。ボランティアなんて生ぬるい気持ちでやれることじゃないっていうのは、骨身に染みました。でも、現地の人の笑顔とか、感謝の言葉みたいな「いいもの」がたくさんもらえるのも大きいし、何より自分自身に本当にすごい体験の思い出が残る。結局、ボランティア経験で「一番いいもの」をもらえちゃうのは、ボランティア自身なんですよ。
私自身、帰ってから環境番組を担当させてもらったり、環境に関するアナウンサーのお仕事が増えたりして、とても充実した毎日になりました。青年海外協力隊でやってきたことが自信につながったからでしょうか、環境のことなら高柳へというご指名がたくさん来るようになって、本当にありがたいです。ほかに変わったこと? うーん、仕事に前向きになりましたね。自分でこの仕事を選んでやっているんだという意識が強くなって、やらされている感がなくなりましたね。会社の人のことも、みんなすごいなあって感心しちゃう。だって、コスラエ島では、みんなに「会議するから明日集まって」って連絡しても、そこから2週間誰もやって来ませんからね(笑)。何べん連絡しても来ない。それに比べて朝9時からの会議に、びしっと全員集まってるの見るとそれだけで感動しちゃいますよ。なんかいろんな意味で、今いる場所がありがたいなって感じられるようになりました。
環境という問題を肌で感じることのできたコスラエの日々。私はあれが今までの人生で一番いい体験だったと本当に思うんです。どんなに毎日のように泣いていた日々があったとしても、あれを乗り越えたからこそ、今の自分がある。そう心から思える素晴らしい体験だったと思います。