
手工芸(トルコ) 鈴木 久美子さん
2006年6月から一年間、トルコの首都アンカラにある女子工芸専門学校で、七宝焼きの技術指導を行った鈴木久美子さん。他の職種のボランティアと協力して、現地女性の地位向上に向けた活動を積極的に行うなど、型にはまらない柔軟な考え方と迅速な行動力、そしてきめ細かさを大切にした指導内容によって、トルコの女性たちが社会に出てゆく一歩につながりました。
最初にシニア海外ボランティアに興味を持ったのは、2005年に55歳で早期退職した主人でした。主人がボランティアについて調べたり、資料を取り寄せたり、熱心に勉強をしている横で、私もゆっくり興味を膨らませていったという感じでしょうか。新しい体験ができそうだし、いずれは随伴家族としてついて行きたいなと考えるようになり、一緒に説明会に参加するなど具体的に動くにつれ、やがてシニア海外ボランティアは私たち夫婦共通の夢になりました。
しかし残念ながらその年は主人に合う要請がありませんでした。その代わりに、私が応募できそうな職種をたまたま見つけてしまったんです。それはトルコでの七宝焼きの指導の要請でした。私は趣味で七宝焼きを20年ほど続けていたので、受かるかどうか半信半疑ではありましたが応募してみたんです。すると受かっちゃって、もうビックリ。というのも、海外ボランティアと聞くと、すごい経歴や資格をお持ちの方が参加されるものだとばかり思っていましたから。当然、「私に務まるのか」という不安も感じましたが、派遣前の研修期間でずいぶん考えが変わりましたね。研修カリキュラムがしっかりしていたこともありますが、それ以上に研修でいろいろな人と出会い、ボランティアに対するさまざまな理想や考え方に触れたことが大きかったです。「ボランティアに決まった形はない。私にしか伝えられないことがあるはず」という視点を持てるようになったんです。主人はもちろん、随伴家族として一緒にトルコへ渡ることになりました。女性ボランティアの随伴家族として男性がついて行くケースは非常に少なかったのですが、あまり気になりませんでした。だってもともと夫婦二人の夢でしたから。娘二人ももう社会人でしたし、喜んで送り出してくれました。

私の活動内容は、トルコの首都アンカラにある「女子工芸専門学校」のジュエリーデザイン科で、先生たちに向けて七宝焼きの指導を行うこと。幸い、私の前年に派遣されていた男性ボランティアの随伴家族の方が、七宝焼きを少し教えていたということで、想像していたよりもずいぶんと環境は整っていました。またトルコではほとんどトルコ語しか通じないのですが、英語が話せる先生がいたことも心強かったです。問題は七宝焼きの道具。日本から道具を取り寄せれば簡単なのですが、私がいなくなった後も続けられなくては意味がないので、すべて現地でそろえました。なかでも窯の調達には苦労しましたね。学校にあった陶芸用の大きな窯は温度が高すぎて七宝焼きに向かず、思い通りの色が出なかったんです。インターネットで調べて、イスタンブールから小型の窯を手に入れたときは、ホッと胸をなでおろしました。
制作現場では、日本人とトルコ人の国民性の違いがよく見えました。日本人は細かい作業が得意だという話は常々聞いてはいたのですが、トルコでそれを痛感。不思議なことにトルコの人々は、作品づくりには真剣に取り組むのに、なぜか仕上げの詰めが甘い(笑)。それが歯がゆかったですね。でもトルコの人々の色彩感覚には何度かハッとさせられました。やっぱり日本人とトルコ人ではデザインセンスに違いがあって、それがとてもおもしろい。たとえば日本では透明で澄んだ作品が好まれるのですが、トルコの女性は不透明で重厚な雰囲気が好きなようでした。確かに気づいてみるとそうしたくすんだ感じのデザインも、なかなか味があって素敵なんです。こうした発見は、現在の私の作品にも大きく影響していますね。学校では作品の展示即売会を開いたり、ファッションショーに参加したり、楽しい経験がいっぱいできました。一緒に何かを作り上げていくときは、もう日本人もトルコ人も関係ない。人と人とが作業を通じて確実につながっていく。この感覚を得たときこそ、シニア海外ボランティアに参加した喜びをかみ締める瞬間でした。
さらにもう一つ思い出深い活動があります。首都のアンカラでは女性が普通に社会進出しているのですが、イスラム教の戒律が厳格に守られている東部地域では、いまだ外で働いている女性はほとんどいませんでした。そこで地域開発の職種で活動している女性ボランティアと協力し、職業教育の一環として、東部地域シバスの女性たちに七宝焼きを教える一週間の集中コースを開いたのです。このように他の職種のボランティアとタイアップした活動は、とても効果的でした。村の女性たちは、誰もが興味津々で作品づくりに取り組んでいました。終わるころにはみなさん、とてもいい表情で笑ってくれて。実はその地域に、窯や必要な道具を一式そろえて村に置いてきたんです。その後聞いた話では、今も週に一度は活動していて、作品の展示会も開いたとのこと。この経験は今も思い出すたびに胸が熱くなります。

トルコでの一年間は終わってみるとあっという間でした。トルコは料理もお酒もおいしくて、生活面での不自由はとくにありませんでした。トルコの方は日本人に対してとても友好的なのですが、どうやらこれには、トルコの難破船を日本が救護したという明治時代の出来事が関係しているようです。歴史に感謝ですね。トルコでは日本人があまりいないため、最初はジロジロと珍しそうに見られることもありましたが、顔見知りになると会うたびに「メルハバ」と笑顔で挨拶してくれるのがうれしかった。そうした触れ合いの一つひとつが、すべていい思い出です。
ただやはり反省点もあります。もっとトルコ語を勉強していれば、七宝焼きの細かい技法も伝えられたでしょうし、早めに東部地域に目を向けていれば、シバス以外の村も回れたかもしれません。随伴家族として行った主人も、トルコ語の勉強や人々との交流を積極的に行ってはいましたが、やはりいろいろな葛藤があったようで、学ぶところが大きかったと言っていました。トルコでの一年間は主に私が外で活動していたため、主人が家事をすることも多かったんですね。すると帰国後もその癖が抜けないようで、トルコに渡る前に比べるとずいぶん主人が家で動いてくれるようになりました。これはうれしい誤算です(笑)。今後もトルコでの経験を生かしながら、トルコと日本の交流を手伝っていきたいと二人で話し合っています。
これからシニア海外ボランティアの参加を考えている方は、ぜひ勇気を持って一歩踏み出してください。ボランティアでしかできない経験が必ずありますから。そして私と同じような、とくに立派な資格がない方でも、興味があればどんどん手を上げて欲しいです。トルコでは逆に私が先生からトルコレースの技術を教わることもありましたし、あまり「教える」「助ける」ということにこだわりすぎず、何か一つの作業を通じて文化の交流を行う、といった柔軟な姿勢で参加してもいいのではないかと私は思いますね。