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| <興福寺鎌倉復興期の尊像> 鎌倉復興期の尊像は、興福寺を代表する寺宝の一部です。1180(治承4)年、平重衡による南都焼き討ち後、その復興には康慶、運慶らの仏師が活躍し、日本仏教彫刻史に新潮流を起こしました。運慶一門による肖像彫刻の最高傑作として知られる無著菩薩・世親菩薩立像をはじめ、金剛力士立像や十二神将立像(いずれも国宝)など、写実的で力強い像が現在に伝わっています。旧所在の堂宇を意識した区分けにより諸尊像を紹介します。 <春日社寺曼荼羅の世界> 興福寺と春日大社は藤原氏の氏寺と氏神で、春日明神は興福寺を擁護すべき権現と崇められていました。上方に春日大社の景観を描き、下方に興福寺の伽藍や仏像を配置した社寺曼荼羅図などを展示し、鎌倉復興期における興福寺と春日社の神仏習合を探ります。 <興福寺をめぐる絵画−南都絵所の展開> 鎌倉時代から室町時代にかけて南都絵所の拠点となった、興福寺に伝わる絵画などを紹介します。特に鎌倉復興期の絵画では、表現様式は鎌倉新様の萌芽をうかがわせながら、図像は奈良時代に範をとっているものが注目されます。厨子入り吉祥天倚像や「聖徳太子絵伝」(いずれも重要文化財)などを展示します。 <解脱上人貞慶の事蹟> 解脱 上人貞慶(1155〜1213)は、南都仏教を復興した学僧・律僧として知られています。1189(文治5)年には最勝講を勤めて「三会巳講」となりましたが、1192年頃より信仰生活の場として笠置山を選び隠棲、晩年には観音の補陀落浄土への往生を望み、観音霊場海住山寺に移住しました。貞慶自筆の奥書を持つ「明本鈔」(重要文化財)を含む文書類や貞慶の肖像、海住山寺に伝わる彫刻などから貞慶の事蹟をたどります。 <法相教学とその図像> 鎌倉期は伽藍や堂宇のみならず、法相教学の復興期でした。「外界のあらゆる存在は唯(た)だ内界の識、つまり自心によってつくり出されたものにすぎない」という思想に基づく法相教学の本質を見つめます。7世紀にインドから中国へ多くの経典を請来した玄奘や、その弟子で法相宗の祖師・慈恩大師基(じおんだいしき)にまつわる絵画、玄奘と慈恩大師が漢訳した経典「成唯識論」(重要文化財)などを紹介します。 <中金堂再建へむけて> 2010年に立柱式が予定される中金堂の再建計画を紹介します。興福寺伽藍の中核となる中金堂は1717(享保2)年、近世最大の火災で焼失し、1819(文政2)年に仮堂的に復元されました。かねてより再建が切望されるなか、2000(平成12)年に解体、基壇部分の発掘調査を行ないました。これまでの調査で出土した重要な鎮壇具や、20分の1の再建模型を展示します。 |
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