染谷正弘氏による連載コラム。住まいのお役立ち情報や話題の街の文化・周辺環境などをご紹介します。
行く春や 鳥啼き魚の 目に涙」 松尾芭蕉。
『奥の細道』は、この句から始まる。芭蕉は、旅の始まりを記念し、「矢立の初めとして」この句を詠んだという。時は元禄2年(1689年)3月27日、いまの南千住、千住大橋のたもとあたりとされている。
「行く春」は、輪廻転生の世界観とともに永遠の別れを暗示する季語である。親しい人に見送られて旅に出る芭蕉は、啼(泣)く鳥と、いつも目を潤ませている魚に、別れの悲しみを重ね合わせたのだろう。旅も人生も別れと出会いの繰り返しだ。その儚さが、そこはかとなく伝わってくる。
矢立(やたて)とは、筆や墨が収められた筆記用具のこと。芭蕉にとっては俳諧創造の象徴、侍の刀のようなものだろう。その矢立を持って、芭蕉は隅田川にかかる千住大橋を渡り江戸をあとにする。

江戸時代、日本橋を起点にして奥州道の第一番目の宿場が、この千住宿だった。江戸の宿場では一番大きくにぎやかだったという。まさに江戸の端にあって、ここから先は江戸ではなくなる。いまも、南千住駅を過ぎて通勤電車の車窓から見える隅田川の光景は、大都会・東京の境界を象徴しているように思えてならない。特にその夕景は、隅田川沿いの高層マンション群の灯りが哀愁を誘う。
JR常磐線、筑波エクスプレス、日比谷線が乗り入れる南千住駅近くに「回向院」というお寺がある。ここには、ねずみ小僧次郎吉、吉田松陰、橋本左内らのお墓があり、どこか江戸時代の面影をしのばせてくれる。そのすぐ近くには、行列のできる鰻屋「尾花」があり、その店構えがまた風情があっていい。店内は広い座敷で、小さな卓で座って鰻をいただく。鰻重はもちろんだが、鰻ざくがなかなかいける。
南千住には、そんな江戸文化を感じさせる街角があれば、駅の反対側には超高層マンション群が建ち並ぶ新しい南千住の顔ができつつある。今年の4月、隅田川沿いに荒川区で一番大きい「都立・汐入公園」がオープンした。その広さはなんと約12.9haもあり、ありとあらゆるアウトドアー施設がそろっている。災害時には、12万人の非難広場になるのだという。

この汐入公園に隣接して約1キロメートルのスーパー堤防も完成。豊かな水と緑の遊歩道が延々と続き、大きく蛇行する隅田川に抱かれたこのエリア全体がまるで巨大な公園となったかのようだ。また、「千住汐入大橋」も同時に完成し、南千住と北千住をぐんと近づけ、21世紀の新しい千住文化圏ができそうな予感がする。
隅田川は、千住大橋、汐入公園、浅草、日本橋、晴海、そして豊洲、東京ベイエリアへと流れていく。海と川と都市。いつの時代も都市に水辺はかかせない。21世紀のウオーターフロントシティが、東京の各地にできつつある。
染谷正弘(そめや・まさひろ)