染谷正弘氏による連載コラム。住まいのお役立ち情報や話題の街の文化・周辺環境などをご紹介します。
ここ10年くらいで、東京湾岸エリア・幕張のイメージが随分変わった。いま、幕張といえば、JR京葉線・海浜幕張駅を最寄り駅とする幕張新都心を思い描く人がほとんどだろう。きらきらと輝く超高層ビル群が林立する近未来的な都市景観が、幕張のイメージとして定着してきたようだ。
それに、幕張は海辺のおしゃれなマンション街というイメージも強く持っている。そのイメージづくりに大きく貢献したのが幕張ベイタウン。日本の有名建築家たちが大勢参加し設計したこのマンション街は、日本のデザイナーズ・マンションの元祖と言っていい。いまも憧れの街として人気は高い(2005年2月25日コラム参照)。
また、幕張の何よりもの特徴は、その集客力のすごさだろう。幕張メッセ、千葉マリンスタジアム、カルフール幕張など、話題の最新都市施設が幕張にたくさんの人たちを呼び寄せている。

関東首都圏での大きなイベントのほとんどは幕張メッセで開催されているし、1991年にオープンした海辺の千葉マリンスタジアムにもたくさんの人たちが訪れるようになった。バレンタイン監督率いる千葉ロッテマリーンズの昨年の優勝が、幕張の知名度を好感度とともに一気にあげたようだ。
そんな新しい幕張のイメージとなった新都心エリアは、実は40年ほど前までは海だった。海が埋め立てられて新しい大地が誕生し、木々が茂り、人が住み始めたのは1970年代も後半になってからだ。それほど遠い昔のことではない。
海が新しい大地に変身する前、千葉街道(国道14号)あたりが海辺と人里とのちょうど境界だったらしい。この街道は、江戸時代には「江戸道」とも呼ばれ千葉と江戸を結ぶ主要な交通路だった。
千葉街道を東京に向かって走ると、幕張エリアの右側は緩やかに高台が迫っていて、左側は平らな低地となっている。その昔、この街道沿いは、海に向かって砂浜が広がっていたのだろう。そんなことを、いまも地形からも想像できる。
明治の頃から、この幕張駅周辺は東京近郊の海水浴場になっていて、夏ともなればたくさんの海水浴客でたいへんな賑わいだったそうだ。
さらに時代はさかのぼり江戸時代。甘藷(サツマイモ)先生こと青木昆陽(1698−1769)が幕府の命を受け薩摩芋を品種改良し大成功をおさめたのが、この幕張だった。享保の頃というから18世紀初頭のことだ。
そのおかげで、関東地方にも薩摩芋の栽培が普及し、多くの人を飢饉から救ったという。この幕張あたりも、ベットタウン化が始まるまでは、のどかな薩摩芋畑が延々と広がっていたことだろう。

いまの京成幕張駅あたりが、その薩摩芋品種改良の試作地だったらしい。駅に隣接してその石碑があり、青木昆陽が祀(まつ)られた昆陽神社もある。つい最近、そのお社(やしろ)が建て替えられたばかりで、白木が初々しい(写真)
。また、そのすぐ近くには、子守(こまもり)神社、宝幢(ほうどう)寺がある。室町時代の豪族・馬加氏の勢力下にあった頃よりの由緒ある寺社だという。実は、幕張という名はつい最近の命名で、その由来は豪族・馬加氏にある。明治の頃まで、このエリアは「馬加(まくわり)」と呼ばれていた。
こうしてみてくると、幕張エリアは、新都心の京葉線沿線文化圏、歴史ある総武線沿線文化圏という二つの顔をもっていることがわかる。そして、いま、その二つの文化圏をつなぐかのように、その中間地点に新しい住宅群が建設中だ。その二つの文化圏を統合する21世紀の新たな幕張文化圏ができる日もそう遠くはないだろう。幕張は、進化し続けている。
染谷正弘(そめや・まさひろ)