染谷正弘氏による連載コラム。住まいのお役立ち情報や話題の街の文化・周辺環境などをご紹介します。



東京で一番大きな都立公園は、小金井公園だという。この公園が、小金井市、小平市、西東京市、武蔵野市にわたることからも、その大きさがわかるだろう。
新宿から東へ多摩方面に向かいほぼ平行に走る西武新宿線とJR中央線に挟まれるかのように小金井公園はある。最寄り駅は、西武新宿線なら「田無駅」と「花小金井駅」、JR中央線なら「東小金井駅」と「武蔵小金井駅」だろうか。「武蔵境駅」も入れてもいいかもしれない。大きい公園ゆえに、いずれも最寄り駅になってしまう。
小金井公園は、確かに大きくて広い。それに巨木も多い(写真)。まさに武蔵野の雑木林がそのまま公園になったかのようなスケール感と、空を覆う木々の緑の圧倒的なボリューム感は、この公園ならではのものだろう。特に五月、木漏れ日いっぱいの園内を歩いていると、まるで新緑の巨大なドームの中にいるようで、その心地良さはたとえようがない。
小金井公園を挟み抱くように東西に走っているのが、玉川上水(写真)と多摩湖自転車道(狭山・境緑道)だ。いずれも、都心への水源ルートとして大きな役割を担うとともに、すばらしい緑道を形成している。その豊かな水と緑の風景は、いまや武蔵野の風景の象徴と言っていいだろう。
多摩湖自転車道(狭山・境緑道)は、武蔵野市の千川上水交差点から東大和市の武蔵大和駅までほぼ一直線で延びる都内でも有数のサイクリング緑道で10.2kmもある(写真)。実は、その緑道の真下には水道管が敷設されていて、東京都民の飲料水となる水が多摩湖から武蔵野市にある境浄水場へ滔々と注ぎ込まれている。水道管自体の敷設は大正時代であって、いまも現役だという。
境浄水場そばの千川上水交差点に小さな公園がある。そこが多摩湖自転車道の起点になっていて、水門をシンボライズした「水の神殿」という石の彫刻(写真)がある。案内板によれば、「山と町をつなぎ、自然と人々を結ぶ”水のみち”」 が、この多摩湖自転車道だという。水の神殿は、”水のみち”へのシンボル・ゲートということだろう。
周りをみわたせば、確かに「山と町をつなぎ、自然と人々を結ぶ」街と言うにふさわしい環境が広がっている。便利な都心からそんなに離れていなくて自然が豊か、このあたりは理想的な郊外住宅地でもある。
武蔵野の自然の美しさを発見し、武蔵野を「郊外」という概念で初めて捉え評価したのが、国木田独歩だった。代表作『武蔵野』(1901年=明治35)で、彼は郊外についてこう語っている。「・・・大都会の生活の名残と田舎の生活の余波とがここで落ち合って、緩やかにうずをまいているようにも思われる。」そんな郊外が、彼に詩興を呼び起こすのだという。
都会と田舎の中間にあって、都会のよさと田舎のよさを合わせ持つのが郊外だ。郊外という概念が登場したのは、実はそれほど古くはない。近代以降のことで、産業革命以前に郊外という概念は存在しなかった。
郊外という近代ならではの新しい世界を武蔵野に発見したからこそ、国木田独歩は武蔵野に魅かれたのだろう。彼は、武蔵野に、落葉樹の美しいただの田舎ではない近代のユートピア「郊外」を夢見ていたに違いない。
日本近代のユートピア、つまり日本の郊外住宅地の誕生は、『武蔵野』の出版からさらに四半世紀ほど待つことになる。1923年(大正12)、日本での初めてのガーデン・シティが「田園調布」に登場する。ガーデン・シティとは、田園と都市が合体した郊外ニュータウンのことであって、まさに「山と町をつなぎ、自然と人々を結ぶ」郊外の街といっていい。鉄道網の発展と共に、東京近郊に郊外住宅地はどんどん誕生していくことになるが、そのお手本となったのが「田園調布」だった。

その「田園調布」にその当時建っていた家を、小金井公園内にある「江戸東京たてもの園」で実際に見て体験できる。田園調布に1925年(大正14)に建てられた「大川邸」(写真)が、修復、移築されて、展示されている。この家は、日本の近代住宅(モダン・リビング)のルーツと言っていいだろう。
日本で最初に発見された郊外「武蔵野」に、日本で最初の「近代住宅(モダン・リビング)」がいま建っている。このことに、僕は、大いなる奇遇を感じる。国木田独歩は、武蔵野にどんな郊外住宅を想い描いていたのだろう。そんなことを想いながら小金井公園あたりを散歩してみても楽しいと思う。
染谷正弘(そめや・まさひろ)