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コラム

染谷正弘氏による連載コラム。住まいのお役立ち情報や話題の街の文化・周辺環境などをご紹介します。

街の記憶:神楽坂の不思議・・・坂のある風景

神楽坂は、不思議な街だ。学生街であり、お洒落な飲食店街であり、現役の花街であり、歴史ある門前町であり、普通の商店街でもある。神楽坂は、昼の顔、夜の顔、街のいろいろな顔をあわせ持っている。それでいて、人々の暮らしがきちんとある。僕の知人に、神楽坂ファンは結構多い。神楽坂の魅力は、その不思議なほどの多彩さにあるのだろう。

JR総武線「飯田橋駅」西口から早稲田通りに出て、そのまま外堀通りの信号を渡れば「神楽坂下」に出る。そこから緩やかに上る坂道が、「神楽坂」だ。けやき並木が美しいこの坂道は、「神楽坂通り」とも呼ばれ、緩やかに起伏しながら地下鉄・東西線「神楽坂駅」へと一直線につながる。飯田橋駅と神楽坂駅を結ぶこの早稲田通り沿い界隈が、いまや東京でも人気の観光スポット「神楽坂」ということになろう。

「神楽(かぐら)」とは、神社の祭礼でよく奏でられる歌や舞のことで、一言でいえば神様にささげる音楽。その昔、この坂を上り下りする際、近くの神社から神楽がよく聞こえたことから神楽坂と呼ばれるようになったという。遠くに笙(しょう)や太鼓や鈴の音が聞こえ、緩やかに時が流れていた頃の風情ある坂道の光景が目に浮かぶようだ。

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その光景をいまもしのばせてくれるのが、ちょうど坂を上り切った「神楽坂上」近くの「善國寺」、通称「毘沙門(びしゃもん)さま」あたりだろう。その鮮やかな朱色の建築は、神楽坂界隈のシンボル、そしてランドマークにもなっている(写真)。

戦国時代末期に建立されたという善國寺には、由緒ある木彫の毘沙門天立像が安置されている。毘沙門天は、仏教における武神であり守護神だから、その信仰者は武士階級に多かった。でも、江戸時代も末期にもなると、神楽坂の毘沙門さまは、勝負運や家内安全の神様として庶民の尊崇の的になり、特に明治、大正期には、東京でも有数の信仰をあつめることになる。神楽坂の毘沙門さま参りの賑わいは、それはすごかったという。ここは、縁日発祥の地でもあるらしい。

メインストリートの神楽坂通りから一歩裏手に廻れば、そこは石畳の坂道と路地が織りなす神楽坂・迷宮都市、それは言い過ぎだろうか。でも、狭い横町に入れば辻にぶつかり、石畳の階段があり、袋小路があり、また横丁がありと、神楽坂界隈の路地はまるで迷路のように張り巡らされている。そして、そんな路地や坂道には、ユニークで味わい深い名が付いている。

袖摺坂(そですりざか)、芸者新路(げいしゃしんみち)、兵庫横町、かくれんぼ横丁、見かえり横丁、熱海湯階段、・・・ちょっと挙げただけでもこれだけある。名前の付いた路地空間が多いということは、それだけ豊かな都市文化を育んでいることの証だろう。

たとえば、「芸者新路」は明治時代にできたから新しい道ということらしい。それだけこの界隈は江戸時代からの路地が多いということだ。この道の両脇には料亭が建ち並んでいたというから、芸者さんを多く見かける路地だったに違いない。今は、イタリアンレストランとマンションと和風の竹矢来が共存する通りになっている。

石畳と黒の板塀で風情ある「兵庫横町」(写真)には、有名な旅館「和可菜」がある。別名「ホン書き旅館」ともいわれ、多くの作家がこの旅館にこもって名作を書いたと聞く。作家たちは、仕事をしながらも、美味しい料理とお酒を求めて夜な夜なこの界隈をさまよったに違いない。この旅館は、5部屋しかなく、とても簡素なしつらえだという。神楽坂という街自体の魅惑的なホスピタリティ(おもてなし)が、この旅館を支えているといっていい。

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神楽坂の魅惑的なホスピタリティ(おもてなし)といえば、料亭と芸者だろう。「かくれんぼ横丁」もまた石畳と黒の板塀に囲まれた一角(写真)で、料亭が軒を並べている。袋小路もあり、ほんとうにかくれんぼができるほどに路地は入り組んでいて、まさに迷宮に入り込んだような思いにかられてくる。迷宮を通り抜けると粋な別世界が待っている、そういうことだろう。

神楽坂で粋な別世界を楽しみたいけど、料亭や芸者はちょっと敷居が高い。そいう人には、おすすめの居酒屋がある。善國寺の真向かいを、神楽坂通りから横丁に入ってすぐの路地にある「伊勢籐」(写真)だ。

この居酒屋は、昔ながらの木造家屋で、格子戸に縄のれんがかかり、そのたたずまいがじつにすばらしい。店に一歩足を踏み入れれば、まさにタイムスリップしたような別世界がひろがっている。

囲炉裏の灰で酒をお燗をする。客は静かにそれを飲む。エアコンもBGMも無い。酒のつまみもごくごく普通の食材で質素、だから美味しい。話声はするものの、静謐で上質な時間と空間が流れている。まさに粋な時間と空間だ。でも、これが、ついこの間までの日本人の日常生活の風景だったのではないだろうか、そう思えてくる。

いくつもの坂道、横丁、辻、路地、石畳が織りなす心のひだのような都市空間が、いまも神楽坂文化を育み続けている。

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染谷正弘染谷正弘(そめや・まさひろ)
建築家、住環境研究家
(株)デザインショップ・アーキテクツ代表、文化女子大学講師戸建住宅や集合住宅の設計を中心に、住まいづくり、街づくりにたずさわる。
最近は、「コミュニティをデザインする」という発想のもと、大規模集合住宅のデザイン・プロデュースを数多く手がける。
(株)デザインショップ・アーキテクツ:http://www.ds-architects.co.jp