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コラム

染谷正弘氏による連載コラム。住まいのお役立ち情報や話題の街の文化・周辺環境などをご紹介します。

街の記憶:田園調布・・・近代社会のユートピア、郊外の発見

田園調布は、誰もが憧れる日本でも有数の高級住宅街である。この街は、そうなるべくしてそうなったように思う。

この街の開発が始まったのは1923年(大正13)、いまから80年以上も前のことになる。街全体がいつも緑豊かな公園のようであることが、この街づくりの基本コンセプトだった。その実現のために、開発当初からこの街独自の建築デザイン協定が作られていたというから、当時としては画期的な街づくりだったろう。

その建築デザイン協定のひとつに、家の周りに塀をめぐらさず、なるべく低い生垣にするようにというルールがある。それは、自分の家の庭を塀で隠さず、公共に開放しなさいというように理解できる。街じゅうの向こう三軒両隣の家々がそうすれば、確かに街は緑豊かな公園のようになるだろう。いまはほとんどの家が建て替えられて開発当初の家は残されていないが、家の外観デザインにも街の景観を配慮したきめ細かいルールがあったという。

春は新緑に満ち、夏は木漏れ日に溢れ、秋は紅葉と落ち葉に覆われ、冬は太陽がさんさんと降りそそぐ、その街並みは洗練されていていつも美しい。田園調布は、そうありたいという想いをもって、世代を超え80年以上にも渡ってデザインされ続けてきた街といっていい。それが、今日の田園調布ブランドを成り立たせている一番の要因ではないだろうか。

田園調布の街づくりにあたって、実はそのモデルとなった街がイギリスにある。20世紀初頭のロンドン郊外に誕生した世界で最初の田園都市「レッチワース」である。田園調布の「田園」は、その田園都市(Garden City)に由来している。

1903年に始まったレッチワースの開発を企画・プロデュースしたのは、E・ハワード(1850〜1928年)という社会改良家だった。その計画コンセプトとなったのが彼の著書『明日の田園都市』(1902年)である。

『明日の田園都市』は、その後、近代都市計画のバイブルとなって、世界中のニュータウン計画に多大な影響を与えていくことになる。日本の明治政府もいち早くその都市計画理念に関心を示し、1907年(明治40)には『田園都市』という小冊子を刊行し、その啓蒙に努めている。政府役人が実際にレッチワースまで視察に行っているというから、その都市計画理念の影響力は当時大変なものだったことが伺えよう。

日本をはじめ世界中の近代国家は、何故これほどまでに『明日の田園都市』構想に関心をよせたのだろう。それは、E・ハワード(1850〜1928年)が、建築家でも都市計画家でもなく、社会改良家だったところに、その鍵があるように思う。

20世紀初頭、産業革命を終えて近代国家建設へと邁進する世界の列強諸国では、都市に工場の煙突が林立し、都市人口は急増し、都市は大混乱の極みにあった。

たとえば、霧のロンドンは、実は煤煙のロンドンだったし、工場労働者が住まう不衛生極まりないスラム街が都市を覆いつくそうとしていたのである。極東にあって、和魂洋才のもと富国強兵をめざす新生近代国家日本も、その状況にさして変わりはなかったろう。

近代化の過程での歪みともいうべきその都市の膨張と混乱をくいとめる方途のひとつとして、若い近代国家は『明日の田園都市』構想に光明を見たのだと思う。そこには、当時としては革新的な都市計画理念が、手法が、いくつも盛り込まれていた。それからおよそ100年後の今、私たちが暮らす現代都市は、その都市計画理念や手法の実現の上にあるといっても過言ではないだろう。

そのひとつが、都市の機能別ゾーニング、つまり「用途地域制」である。それは、住まう所、働く所、憩う所を明確に分離し、都市機能を再編成しようという試みといっていい。

そして、もうひとつは「郊外」の発見だ。都市でも田園でもない第3の場所「郊外」という概念を発明したといってもいいかもしれない。それまでは、「田園」と「都市」しかなく、「郊外」という概念は存在しなかったのである。

田園と都市が結婚し、それぞれの優れたDNAだけを受け継いで産まれた全く新しい街が田園都市(Garden City)だと、E・ハワードは言う。自然豊かな田園と、生活に便利な都市、それらの良いところだけを併せ持つ田園都市(Garden City)の立地は、必然的に都市と田園の中間エリア、郊外(Suburb)となる。『明日の田園都市』構想の登場によって「郊外」は発見され、そして「郊外」は近代社会のユートピアとなった、そう考えていいだろう。

その郊外(Suburb)の存在意義をさらに高めたのが、鉄道という新しい交通手段の登場であり、その交通網の拡大だった。郊外の住まいから、毎日都市へ働き出る「通勤」という概念も、こうして初めて登場する。その郊外の住まいこそ、いまも私たちが暮らすモダンリビングでありニュータウンだったのである。

僕は、レッチワースに2度ほど訪れている。まるで絵に描いたような可愛い家々が建ち並び、花が咲く庭にはもちろん塀などない。その緑豊かな街並みは、確かに田園調布がモデルとした原風景そのものだったように思う。その原風景の面影を、東急東横線の田園調布駅舎や、その駅舎を中心に放射状かつ同心円上に配されたその街路計画に、いまもみることができる。

近代のユートピアとなるべく街づくりがなされ、その想いをもって住まい続けられてきた田園調布、この街から学ぶべきことは多い。

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染谷正弘染谷正弘(そめや・まさひろ)
建築家 DSA住環境研究室代表 文化女子大学講師
戸建住宅や集合住宅の設計を中心に、住まいづくり、街づくりにたずさわる。
「コミュニティーをデザインする」という発想のもと、大規模集合住宅のデザイン・プロデュースを数多く手がける。
(株)DSA住環境研究室:http://www.ds-architects.co.jp