染谷正弘氏による連載コラム。住まいのお役立ち情報や話題の街の文化・周辺環境などをご紹介します。
首都圏をネットワークする鉄道路線で、閑静な住宅街を走り抜ける「郊外電車」というイメージを今も色濃く残している路線のひとつに京王「井の頭線」がある。住宅地として今も昔も変わらぬ人気の沿線だ。
都心西エリアの主要ターミナル駅「渋谷」、「明大前」、そして「吉祥寺」をピンポイントで結ぶ「井の頭線」。その始発から終点までの路線全距離は案外短く、各駅停車でもその乗車時間は30分もかからない。各路線の相互乗り入れが多くなった最近の鉄道網のなかで、「井の頭線」は、小さな路線のひとつといっていいだろう。
また、この路線は、駅と駅との間がとても短い。1kmにも満たない区間もあり、駅から次の駅が見えてしまうほどだ。その駅舎のどれもが小さくて愛らしい。小さな踏み切りも結構多い。それだけ、この路線は住宅街の路地を走り抜けているということなのだろう。だから、車窓を流れる街の風景はいつも緩やかで、どこかヒューマンな感覚に満ちている。「井の頭線」の魅力は、そんなところにあるのではないだろうか。
そんな「井の頭線」沿線に、僕にとって思い出深い街と建築がある。路線のほぼ中央に位置する「浜田山」、そしてこの街に建つ『浜田山の家』(設計・吉村順三1965年)だ。
この建築を初めて知ったのは建築設計を学び始めた学生の頃だから、もう35年も前のことになる。個人住宅ゆえに、この建築を僕はいまだ実際に見たことはない。写真と図面でしか知らないけれど、その片流れ屋根の平屋住宅がコンクリートの塊に支えられ、まるで空中を飛んでいるかのような建築構想力、奇をてらわない上質な建築デザイン、この建築は建築家をめざす若者には十分に衝撃的だった。
この建築に名付けられたそのタイトルが、僕に「浜田山」という街への特別な想いを抱かせてしまったように思う。それまで、この街を訪れたことはもちろん、その名を聞いたことも無かった。こんな斬新な住宅が建っている街はさぞかし先進的で素敵な街に違いないと、僕のなかで「浜田山」のイメージはどんどん膨らんでいったように記憶している。
建築家・吉村順三(1908〜1997)は、戦後日本の近代住宅(モダンリビング)のデザインをリードし続けてきた住宅設計のパイオニアである。住まい手はサラリーマン核家族、立地は郊外、それがモダンリビングの成り立ちだ。しかも日本の建築文化に根ざしたモダンリビングのあるべき姿、そのプロトタイプとして登場したのが、『浜田山の家』だった。
写真と図面でしか伺い知れないが、延べ面積が100 m2 にも満たないいわゆる3LDKのこの小住宅の居住空間は、それは豊かである。居間には小さな暖炉とアップライトのピアノ、大きな窓は障子で覆われ、決して華美でないシンプルなインテリアデザイン、そして当時としては斬新な間取り構成、この家は戦後日本のモダンリビングの理想型だったといっていい。
『浜田山の家』が竣工した1960年代の「浜田山」は、どんな街だったのだろう。おそらく若々しいデザインの家々が建ち並び、僕が学生の頃に想像した「浜田山」のイメージそのものではなかったろうか。それは、東京オリンピック(1964年)を成功させた日本が、明るい未来へ、世界へと大躍進し始め、テレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器といわれていた頃のことである。
「浜田山」には、僕が感銘した思い出の建築がもうひとつある。浜田山駅近くに建つ低層集合住宅『ライブタウン浜田山』(設計・現代計画研究所)だ。1階がフラット住戸、2階と3階でメゾネット住戸という構成で、総戸数97戸、3階建てのいわゆるタウンハウスである。その配棟計画、外観デザインは、これまで日本の集合住宅では見たことのないそれは斬新なものだった。
『ライブタウン浜田山』は、僕がちょうど実社会で建築設計の修行を始めたばかりの頃、1977年に竣工している。住宅設計を専門とする建築家になろうと心に決めていた僕は、この低層集合住宅を建築雑誌で見て、すぐ見学に行った記憶がある。「浜田山」を訪れたのは、そのときが初めてだった。
先日、久しぶりに「浜田山」を訪れてみた。駅前商店街を過ぎると煉瓦タイルの『ライブタウン浜田山』はすぐ現れ、30年の時の流れを感じさせないそのデザイン、そして大きく育った木々に囲まれてむしろ魅力を増しているそのたたずまいに、僕は感動してしまった。
タウンハウスは、建築基準法的には「長屋」という。道路から直接住戸にアクセスできる集合住宅形式で、普通の分譲マンションのほとんどは共用の外廊下をもつ「共同住宅」である。日本では、なぜかタウンハウスは人気が無く、分譲マンションとしてはほとんど建てられていない。戸建住宅と集合住宅の中間形態のタウンハウスは、中途半端な住宅形式と思われ人気が無いのだろう。『ライブタウン浜田山』のような魅力ある低層集合住宅が日本の住宅文化に定着しないのはとても残念に思う。
久しぶりの「浜田山」は、緑の豊かな郊外住宅の街であることに変わりはなかった。でも、戸建住宅の建て替えも進み、街並みに瀟洒な低層の分譲マンションが随分増えたような気がする。「浜田山」は、戸建住宅から低層集合住宅の街に変わりつつあるように思える。そして、いまあの広大な三井運動場が、およそ500戸の街に生まれ変わろうとしているようにも聞く。「浜田山」は郊外住宅の街として、さらに進化続けていくことだろう。