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コラム

染谷正弘氏による連載コラム。住まいのお役立ち情報や話題の街の文化・周辺環境などをご紹介します。

街の記憶:世田谷区成城・・・学園がディベロップメントした街

「哲夫成城 哲婦傾城」という漢詩の一節が、成城学園の名の由来だという。この漢詩、大意は「賢い男が城を築き、賢い女は城を滅ぼす」である。学園の命名ならずとも、いまならフェミニストはもちろん普通の女性たちからも猛反発されるに違いない。

その名の由来など成城学園の歴史は、田園調布に並ぶ東京屈指の高級住宅街「成城」の街づくりの歴史とも重なり、とても面白い。成城という地名は、成城学園のキャンパスと共に誕生している。

大正デモクラシーという時代の潮流のなかで、成城学園はまさにモダニズムの洗礼を受けて開校している。1917年(大正6)に創立、男女共学となったのが1923年(大正12)。その教育理念を、個性の尊重、芸術や自然科学の探求、「調和ある人格形成の教育」としていて、幼稚園から高校まで一貫教育しようという学園システムなど、当時としてはとても斬新な学校だったろう。

成城学園は、いまも新宿牛込にある「成城学校」をその前身とし、そこから分離独立した経緯がある。当時の「成城学校」は明治時代のエリート軍人養成を目的としていて、富国強兵という時代精神を色濃く反映した「成城」という名だけが成城学園に受け継がれたらしい。

でも、その出典はどうであれ、「城を成す」というその名は、壮大な構想や夢を実現させてくれそうな気がして、学校や住宅街のネーミングとしては大正解だったのではないだろうか。

成城学園は、関東大震災を契機に、1925年(昭和元年)にいまの地に移転している。このときから成城の街づくり、まさにデベロップメント(都市開発)が始まったといっていい。その開発を、成城学園の経営陣自らがおこなったという。その開発手法は、いまのデベロッパーも顔負けで、学校の教育者が主導したとは思えないほどである。

まず、成城学園の経営陣は、生徒の父兄からの寄付で田園風景が広がるこのあたりの農地や山林を安く買い上げ、宅地開発と同時に小田急線を誘致している。買い上げた土地を小田急電鉄には格安で、宅地は高く分譲し、その利益でキャンパス建設を着々とすすめていく。キャンパスを移転してから2年後の1927年(昭和2)に、成城学園前駅はオープンしている。

宅地開発においても、都市プランナー顔負けの様々なデザイン手法が盛り込まれていて、いまの成城の立派な街並みの骨格はこのとき出来たといっていい。瀟洒な別荘地のような街づくりを、その開発コンセプトにしたという。今風にいえば、自然豊かなリゾート感覚あふれる学園都市をめざしたということだろうか。

具体的には、キャンパスと駅を基点に2本の直交するメインストリートをつくり、それらを都市軸にして宅地を碁盤の目のように配している。その2本のメインストリートこそ、いま成城のシンボルとなっている見事な「イチョウ並木」と「サクラ並木」だ。

また、店舗や娯楽施設は駅周辺にしか建設させないという都市のゾーニング(用途地域制)手法を取り入れ、高い塀を禁止して生垣を奨励するなどの都市景観への配慮も忘れていない。やがて訪れる車社会を想定してのことだろうか、交差路には道路の隅切りもなされていた。

当時としては最先端のその街づくりデザインは、イギリスの田園都市(ガーデンシティ)構想の影響を強く受けていたように思われる。それは、都市と田園の優れたところだけをあわせ持つ近代社会のユートピアを実現しようという20世紀初頭に登場した都市構想だ。いずれにしろ、それらのすべてを成城学園の経営陣が主導していたというからすごい。

学園都市にして高級住宅街の成城ブランドは、こうしてその基礎が築かれたといっていい。あとは、街の住まい手である。真の街づくりは、街に人が住まい始めてから始まる。学園都市だから、学園の教授陣らをはじめ多くの文化人、知識人が住まい始めたことが、成城ブランド形成に大きく貢献したように思う。柳田國男もそのひとりであり、彼の家は外壁にハーフティンバーがほどこされたスイスの民家風のデザインだったという。

また、駅の南側にもともとあった東宝スタジオ(撮影所)が、1941年(昭和16)に東宝の映画製作の本拠地となって以来、成城界隈に映画関係者や俳優が多く出入りするようになり、彼らもまたこの街に住まい始めるようになる。その芸能人たちの華やかさも、成城ブランド形成に大きく貢献していよう。

そして、戦後日本社会の最先端で活躍し成功をおさめた人たちが、知的で華やかなこの街に移り住み、豪邸を建てていくことになる。その成城の住まいを象徴するような豪邸を体験したければ「猪俣庭園(旧猪俣邸)」を訪れてみるといいだろう。敷地面積が560坪もある平屋建ての大豪邸で、世田谷区に寄贈されていて一般公開(無料)されている。

猪俣邸(1967年竣工)の設計者は、日本の伝統的な数奇屋建築を現代建築へと昇華させた日本建築界の巨匠・吉田五十八(1894〜1974)だ。この家は、全体のデザイン基調はモダンな数奇屋だが、間取りはごく普通のモダンリビングで、庭と一体になったその室内は穏やかな優しさに満ちていて、いかにも住まいやすそうで居心地がいい。豪邸にありがちな奇をてらった所が全くない。近代日本住宅の最高傑作のひとつといっていいだろう。

最近の成城は、住人の世代交代に伴う宅地の分割化が進み、住宅が小規模化し、また集合住宅も多くなっている。そんな中、世界の建築界から注目される集合住宅が、小規模ながらも成城に登場している。

いま世界で活躍中の新進気鋭の女性建築家・妹島和代氏が設計した全く新しいタイプの集合住宅で、それは街の中に街があるような建築、あるいは21世紀の都市住居にふさわしい近未来長屋のようでもある。この建築が、成城の新しい街づくりへの手がかりとなり、猪俣邸に代わる成城の住まいの新しいシンボルとなるかもしれない。

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染谷正弘染谷正弘(そめや・まさひろ)
建築家 DSA住環境研究室代表 文化女子大学講師
戸建住宅や集合住宅の設計を中心に、住まいづくり、街づくりにたずさわる。
「コミュニティーをデザインする」という発想のもと、大規模集合住宅のデザイン・プロデュースを数多く手がける。
(株)DSA住環境研究室:http://www.ds-architects.co.jp