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コラム

染谷正弘氏による連載コラム。住まいのお役立ち情報や話題の街の文化・周辺環境などをご紹介します。

街の記憶:町田・・・団地と古代住居と都市文化

新宿へも、横浜へも、30分ちょっとでアクセスできるその利便性から、町田市は首都圏でも人気のベットタウンのひとつとなっている。小田急小田原線とJR横浜線がクロスする町田駅、その駅前にはたくさんの百貨店や大型店舗が軒を並べ、通勤やショッピングをする人たちでいつも大賑わいだ。最近は、ラーメン激戦区の街として巷(ちまた)の話題にもなって、ラーメン好きにはもちろん、この街への親近感はさらに増し続けている。

でも、多摩丘陵が広がる町田市内には縄文、弥生時代の遺跡が150以上もあり、5000年以上も前から人々が営々と住まい続け育んできた町田エリアの文化と歴史の豊かさは、案外知られていないのではないだろうか。

町田駅から車で15分ほどの「藤の台団地」近くに町田市立博物館があり、それに隣接して「本町田遺跡公園」がある。そのこんもりとした緑の中に、縄文時代と、弥生時代の集落、住居群跡が保存され、またその古代住居が復元(写真)され展示されている。町田エリアの歴史と文化の奥深さを実感できてとても興味深い。

縄文、弥生とふたつの時代にまたがりこの場所に集落があり続けたということは、数千年以上もこの同じ場所に、ほとんど同じ住宅形式で人々は住まい続けていたことになる。それは、すごいことだと思う。一方、1970年に入居が始まった「藤の台団地」(写真)は、100年程前に西欧に誕生したインターナショナルスタイル(写真)と呼ばれる全く新しい住宅形式である。モダンリビングとも呼ばれるこの住宅形式こそ、いまの私たち住まいの原型と考えていい。

小高い丘にあるこの公園からは、真っ白な箱の集合住宅群が整然と建ち並ぶ「藤の台団地」の景観を一望することができる。この遺跡公園を散策していると、静かに佇む古代住居とその足元に広がる広大な団地風景が一瞬重なり合うときがある。その光景は、膨大な時の流れが消滅したパノラマのようでもあり、タイムスリップして異空間に迷い込んだような不思議な気分にもさせてくれ、楽しくもとても感慨深い。

自然素材で造られ自然環境と一体となった古代住居は、別荘地のちょっと変った山荘のように見えないこともない。その一方に、合理的なモダンリビングが規則正しく集積する団地風景が広がる。この対照的な住まいの光景を目の当たりにすると、どちらの住まい方が優れていて快適なのだろう、膨大な時を経て私たちの住まいはどれだけ進化したのだろうと、そんな素朴な疑問が自然に湧いてくる。それは、昨今の地球環境を思えば、近代科学文明への素朴な問いでもある。

「藤の台団地」をはじめ、町田市内には、公団、市営、都営のいわゆる「団地」が多い。1960年代、日本が高度経済成長時代に突入した頃から「団地」建設は始まり、緑豊かな多摩丘陵は緑豊かな住宅地へと変身していく。本町田遺跡は、その建設中に発見、発掘されている。そして、都心から多くの人が怒涛のように移り住み、町田市は都市の利便性と豊かな自然を併せ持つ郊外ベットタウンへと一変する。

その新住人には文人も数多くいて、たとえば芥川受賞作家の半田義之(1911〜1970)や八木義徳(1911〜1999)は、「団地」に住まいながら創作活動をしている。狐狸庵先生こと遠藤周作(1923〜1966)が玉川学園に居(狐狸庵)をかまえたのも、ちょうどこの頃だ。多摩丘陵の美しい自然に魅せられてのことだという。また、随筆家の白州正子(1910〜1998)は、茅葺の農家を改装し「武相荘」と命名した住まいに暮らしながら、日本の自然や文化について格調高い素敵な名文を数多く残している。

多彩な文学者や作家達が住まい、創作活動をしていた「文学ゆかりの街」、町田市をそう呼んでもいいかもしれない。この地は、江戸の頃より女流俳人や国学者、明治以降もまたたくさんの詩人や歌人を輩出している。もともとそうした豊かな文化的土壌があったことが、多くの文人をこの街に呼び寄せたのだろう。その詳細を知るには、町田駅すぐ近くにある「ことばらんど・町田市民文学館」を訪ねるといい。

この文学館のエントランス脇に、「瓢弧粛々(ひょうこしゅくしゅく)」という銘の小さなブロンズ像(写真)が立っている。この像は、狐狸庵先生(遠藤周作)の軽井沢の別荘から移設したものだという。人としての尊厳と優しさと孤独を表現しているように思うのだが、どうなのだろう。多摩丘陵の自然、風土が、そんなことを人々に思惟させるのかもしれない。

町田市内には、鎌倉街道、鶴川街道、町田街道など「街道」と名の付く道が多い。町田市は、知る人ぞ知る古道の宝庫なのだという。鎌倉街道は、多摩地域と鎌倉幕府をつなぐ古道の名残(なごり)だろう。江戸時代には、東海道と甲州街道に挟まれるかのように江戸から伸びる大山街道が市内を通過し、辺りには宿場町も点在していたという。また、明治時代になると、八王子から横浜まで絹を運ぶ日本版「シルクロード」の中継地点として随分栄えたらしい。

いずれにしろ、町田エリアは、多摩丘陵にあって、古(いにしえ)から地理的にも、文化的にも交流点となるべき地勢にあった。それはいまも変ってはいない。東京都市文化と横浜都市文化を混交させながら、新たな町田都市文化がこれからさらにパワーアップして形成されていくに違いない。

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染谷正弘染谷正弘(そめや・まさひろ)
建築家、住環境研究家
(株)デザインショップ・アーキテクツ代表、文化女子大学講師戸建住宅や集合住宅の設計を中心に、住まいづくり、街づくりにたずさわる。
最近は、「コミュニティをデザインする」という発想のもと、大規模集合住宅のデザイン・プロデュースを数多く手がける。
(株)デザインショップ・アーキテクツ:http://www.ds-architects.co.jp

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