柏といえば、いまやレイソル。柏市はJリーグ「柏レイソル」のホームタウンだ。サッカーファンのおかげで、この街の名もずいぶん知られるようになった。常磐線で上野から約30分、千代田線で大手町から約45分、関東平野のほぼど真ん中に位置する柏は、首都圏にあって由緒正しい正統派ベッドタウンである。
JR柏駅の改札口前のコンコースは、まるで池袋や渋谷のようでいつも人でいっぱいだ。一日の乗降客は約32万人、その数は柏市の人口とほぼ同じだという。そのコンコースから流れ出る乗降客を受け止めているのが、ダブルデッキと呼ばれる人口地盤の駅前広場。大手デパート群と一体化されたダブルデッキの階下は、バスやタクシーのターミナルになっていて、歩行者と車は立体的に分離されている。このダブルデッキ方式が、ベッドタウン柏駅の大勢の乗降客やデパート利用客の安全を支えているといえよう。
このダブルデッキができたのは1971年。もう35年も前のことになる。当時としては、ダブルデッキ方式を採用した駅前再開発は日本でもめずらしくかなり話題を呼んだらしい。いま、このダブルデッキの駅前広場は、メジャーデビューを夢見るストリートミュージシャンのメッカとなって話題をよんでいる。
夕方ともなると、柏駅前広場は、さながら屋外コンサート会場と化す。気に入ったグループの前で、サラリーマンも学生も足をとめて聞き入っている光景は、どこかほほえましい。毎年、ストリートミュージシャン・コンテストも開催されていて、今年で7年目を迎えるという。地元商店街の若者たちが全面的にバックアップしているようだ。どこからともなく現れるストリートミュージシャンの数は、いまや100組を超えているらしい。
都心に通勤するサラリーマンが深夜寝に帰ってくる街、それが郊外のベッドタウンだ。ベッドタウン柏の歴史は、戦後日本の郊外住宅街形成史そのものである。日本住宅公団が発足したのが1950年。その翌年に南柏駅近くに「光が丘団地」(108棟、974戸)が着工されている。いま私たちが住んでいるマンションの間取りの原型となった「2DK」は、このころ登場している。
東京オリンピックが開催された1959年には、柏駅近くに「豊四季団地」(106棟、4800戸)が建設、入居者はなんと約13000人。1950年代初頭、柏市の人口が、およそ5万人の頃のことである。ちなみに、豊四季団地が建設される前まで、そのあたりには競馬場があって、ずいぶんと賑わっていたらしい。
競馬場があるくらいだから、大地は平らで緑豊か。しかも都心に適度に近い。ベッドタウン候補地としては、最高の立地環境だったに違いない。もともと柏エリアは、「手賀沼」文化圏にあって、のどかな田園風景が拡がる豊かな穀倉地帯だった。郊外のベッドタウンとなったいまも、その自然環境のすばらしさは基本的に変わっていない。
ただ、その急激なベッドタウン化がもたらした自然環境の歪みは、手賀沼の汚染に集中する。手賀沼には、日本一汚い河川となった不幸で悲しい歴史がある。しかし、最近はずいぶんときれいになり、北からの渡り鳥もまた戻ってきていているという。その数、数千羽。手賀沼が、水鳥の楽園に復活する日もそう遠くはない。
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