いま首都圏で人気の沿線といえば、まず東急田園都市線があげられよう。その人気の理由のひとつに、そのネーミングがあるのではないだろうか。田園都市という言葉は、田園のように空気がきれいで緑がいっぱい、しかも都会的でおしゃれで便利、そんな理想の街のイメージをかきたててくれる。
東急田園都市線が、渋谷駅と中央林間駅とを直通で結ぶ新しい路線に衣替えしたのがちょうど2000年。田園都市線の始発駅となった中央林間駅は、小田急江ノ島線と接続する。こちらの中央林間駅の歴史はけっこう古い。
小田急江ノ島線が開通したのは昭和4年(1929)、その頃中央林間駅は中央林間都市駅と呼ばれていたらしい。隣の駅も、東林間都市駅、南林間都市駅と、「都市」という言葉がついていたという。林間都市という言葉は、田園都市をどこか髣髴とさせ、それらはまるで姉妹都市のようにも思える。
じつは、小田急江ノ島線の開通とほぼ同時に、この中央林間エリアで大々的な宅地開発、分譲が始まっている。それが、東急の田園都市構想に対抗してつくられた小田急の林間都市構想による街づくりだった。
じつは、どちらの開発も、近代都市計画のバイブルとなったE・ハワードの『明日の田園都市』(1902)をお手本にしている。開発コンセプトの骨子は、まさに「田舎」と「都市」のそれぞれのいいところだけを取り入れ、自然豊かで機能的な街づくりをしようというものだった。
その『明日の田園都市』構想のもとに、世界で一番最初につくられた田園都市(Garden City)が、英国ロンドン郊外にあるレッチワース(1904〜)という街だ。そのレッチワースをモデルにつくられたのが、東急東横線の田園調布(1922〜)だった。あの有名な田園調布駅前の放射状に広がる街並が、そのことをよく象徴している。
田園調布ほどよくは知られてはいないが、南林間駅前にも、駅前ロータリーから放射状に伸びる街路や、東西、南北に広がる格子状の街区が林間都市開発当時そのまま残っていてとても興味深い。駅前街区プランを見ると、そのことがよく理解できる。日本都市計画史に残る貴重な遺産といっていいだろう。
小田急江ノ島線の林間都市開発は、じつは大失敗に終わる。最初の分譲から10年たっても予定の3割しか売れなかったようだ。折りしも世界恐慌のなか第2次世界大戦も始まり、林間都市は幻の都市となって消えていく。悲しいことに、人口がまったく増えない中央林間エリアは都市という名はふさわしくないということから、駅名から都市という文字が消されて中央林間駅、南林間駅、東林間駅になったという。昭和16年(1941)のことである。
そのおかげと言っていいのだろうか、結果的に中央林間エリアにはたくさんの自然が残されることとなった。小田急江ノ島線が東急田園都市線と接続されて都市機能も充実し、緑豊かな中央林間エリアは、半世紀を経たいまようやく林間都市構想が実現されつつあるようだ。これからますます魅力ある街になっていくことだろう。
|
|