横浜市18区のなかで面積が一番広いのが戸塚区だ。そのぶん水と緑に恵まれて自然豊か、それに交通の利便性もいいから住宅街として最適。最近の戸塚は、そんなイメージが強い。街なかを歩いていると、街並の背景に豊かな緑が顔をのぞかせ、ちょっと足をのばせば昔なつかしい山里や田園風景にすぐ出会えそうな気がする。
その昔、「東海道中膝栗毛」の主人公、弥次さんと喜多さんが珍道中をしていた頃、戸塚はたいへん賑わいのある宿場町だったという。東海道・戸塚宿は、日本橋から約十里(約40キロメートル)、江戸を早朝に出てちょうど夕刻前に到着する距離で、旅人にとって旅の第1日目の宿泊地となっていたらしい。
戸塚宿が、全町約3.5kmの街並をもつ宿場町として整備されたのは慶長9年(1604年)、天保14年(1843年)には大小あわせて75軒の旅籠があったと記録が残されている。江戸時代の戸塚は、交通の要衝として、県内では小田原に次ぐ大きな宿場町だったようだ。
庶民の宿は「旅籠」だが、公家や大名、幕府の要人専用の高級宿を「本陣」という。戸塚宿には2軒の本陣があり、街の中心になっていた。そのひとつ内田本陣は、いまの戸塚駅西口近くバスセンター交差点あたりにあったらしい。交通の要衝のその中心が戸塚駅あたりであることは、今も昔も変わりはないようだ。
その東海道線「戸塚駅」の開業は明治20年(1887年)、現在はJR東海道本線、横須賀線、市営地下鉄を結節するターミナル駅になっている。乗降客数は、戸塚区の人口とほぼ同数の約26万人、横浜駅に次いで横浜市内2番目に多いという。そのわりには、駅のコンコースやバスターミナル上部のペデストリアンデッキ(人口地盤)は、静かなたたずまいをみせている。
戸塚駅をクロスするように東海道線と並んで街の中心部を南北に流れる川が、柏尾川だ。この川は、戸塚のシンボルといっていいだろう。「戸塚区の花」は桜だが、それもこの川沿いのすばらしい桜並木にちなんでのことである。第二次大戦後は、この美しい川沿いにたくさんの大規模工場が建設され、戸塚の繁栄を支えてきた。
でも、一方で、柏尾川は「暴れ川」といわれるほどに氾濫を繰り返し、流域市民を水害で苦しめてきた歴史がある。現在は、大規模な河川改修工事によって、氾濫の心配は少なくなったことはもちろんだが、整備された川沿いは約700本もの桜の大木が並ぶプロムナードとなって憩いの場として親しまれている。
実は、柏尾川の桜並木の歴史は古く、江戸時代の安政年間にまでさかのぼることができる。桜の寿命はおおよそ60年といわれている。治水のためでもあったであろうが、その頃から丹念に植え替えや養生されてきた由緒ある桜並木だ。大正、昭和初期の頃には、戸塚駅から大船まで桜のトンネルが連なり、それはみごとだったという。いまも桜の名所となっていて、毎年たくさんの花見客で賑わっている。
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