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チャプレンの言葉

「わたしは植え、アポロは水を注いだ。
 しかし、成長させてくださったのは神です。」(コリントの信徒への手紙1 3章6節) 立教大学チャプレン 八木 正言

2010年4月1日掲載

「努力をしても報われないことがある、しかし成功した人は皆努力している」という言葉を最近耳にした。なるほど確かにそうなのだろうと思う。なかなか上手い表現だと感心もする。この言葉は努力を奨励するための言葉なのだろうと、その言わんとするところも受け止められる。しかし、同じことを表現するにも「成功したかったら努力しろ」と言われると、ややそのニュアンスが異なってくるように思えるのは私だけだろうか。

どちらも努力を奨励する言葉である。にもかかわらず、スーっと心に入ってくるのは前者、後者の方はついつい「そんなこと言われなくても分かってる」と口をとがらせたくなる。

そこで両者の違いを私なりに考えてみる。

すると、どうも引っかかるのは「成功したかったら」というフレーズではないかと思い至る。つまり、前者は「努力をすること」そのものに重きが置かれているのに対し、後者は「努力をしたその結果」に重きが置かれているのではと感じるのだがいかがだろうか。

何事もスピーディーであることが良しとされる時代、やたらと結果を急ぐ傾向にあることを感じずにはいられない。言い換えれば、自らの努力がどのような効果や結果をもたらすのかが明白であることには努力できるが、なかなか結果が出ないことには、人間あきらめが肝心と自身を納得させ、さっさと手を引いてしまう。もしかしたら効果が表れないかもしれないとなればなおさらである。しかし、結果をもたらさない努力は無意味だろうか? 良い結論に辿り着かないかもしれない努力はしなくてもよいのだろうか?

そうではないと思う。努力することそのものに価値がある。直接的にはそれが好結果をもたらさなくとも、そこでの努力は必ずプラスになるのだと思う。

植えること、水を注ぐこと、そのこと自体に意味がある。あとは成長させてくださる神にすべてを委ねれば良いのである。

「チャプレンからの今週の言葉」2009年12月21日号より