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チャプレンの言葉

「天の国はまた次のようにたとえられる。」 
(マタイによる福音書 第25章14節) 立教大学チャプレン 上田 亜樹子

2010年7月16日掲載

私たちが日常的に使う「タレント」(才能)という言葉の語源は、「タラントン」というギリシア語の金銀の重さの単位だと言われています。聖書の中に「タラントン」のたとえ話が出てきますが、この話はある人が、自分の部下3人に、それぞれ5タラントン、2タラントン、1タラントンを預けて旅に出るというところから始まっています。1タラントンは6000デナリに相当するそうで、単純に考えると6000日間、働かずに食べていける大金ということになりますが、たとえ1タラントンでも、勘定するのは難しそうですから、5タラントンときた日にはもうギブアップです。想像すらできやしません。かつては「資本主義」を擁護する説話と解釈し、経済搾取を正当化するためにこの聖書のたとえ話を使った人もあったそうですが、そんなことをイエスが主張するはずもありません。はたして本当に、イエス自身が物語ったかどうかは別としても、少なくともこれは金銀の単位を使った「たとえ話」をしているのであって、「お金の話」をしているのではないのは明らかです。たとえ話の最後は、旅行からこの人が帰ってみると、タラントンを預かった3人は、それぞれ5タラントンを10タラントンに、2タラントンを4タラントンに増やし、そして1タラントンを預かった人は隠しておいたので、1タラントンのままであった、というしめくくりになっています。

人の持っている才能をうらやましく思ったり、自分には「全然才能はない」と情けなく思ったりと、タラントン不足を認識するのは、私たちはとても得意です。ところが自分が「預かったタラントン」を認知するのは実はそう簡単ではなく、捜しても見つからなかったり、たとえ見つかっても中傷されたり無視されたり辛い思いをするリスクを心配すると、そんなものは始めからなかったことにする方がずっと安全だと思ってしまうことがあります。この話では、1タラントンを預かった人だけが、「恐ろしくなって」土に埋めて隠してしまいますが、自分にどのようなタラントンがあるのか分からなくなっている人は、土に埋めて隠しているこの人に似ているかもしれません。隠しておけば、人から「たいした才能じゃないや」と決めつけられたり、期待はずれだと断定される危険もないからです。

しかしながら、私たちがそれぞれ神から預かったタラントンは、人々の間で分かち合うために今、手元にあるのではないかと思うのです。それらのタラントンは、分かち合えば分かち合う程、減っていくのではなく、かえって増えて広がっていくのだと、このたとえ話は語っているように思います。あなたがもし、何かを怖れて土の中にしまったままのタラントンがあるならば、早速掘り起こしてみませんか。あるいは埋めたままで、忘れているタラントンもあるかもしれません。自分には価値のないものであっても、人のために用いれば、思いがけない働きをするかもしれません。そう信じて私たちが互いに分かち合うために何かを差し出す時、私たちのタラントンはその姿を現し、幾倍にも豊かになっていくのだと思います。

「チャプレンからの今週の言葉」2010年6月14日号より