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チャプレンの言葉

「暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く」 
(ルカによる福音書 第1章79節) 立教大学チャプレン 上田 亜樹子

2010年12月1日掲載

イエス・キリストが生きていた時代・地方では、「おはよう」も「こんにちは」も「おやすみ」もすべて「シャーローム」と、挨拶をかわしていたようです。直接訳すと「(あなたに)平和がありますように」との意味ですが、今日でも「主の平和(があなたにありますように)」は、礼拝の中の挨拶の言葉としても使われています。そしてこの言葉には、平穏無事な状態が続きますようにと願うだけではなく、どんな状況になっても揺るぎない心の平安がありますように、ことに困難な出来事がこれから起きるという時には、最後まで平和な気持ちで全力を尽くすことができますように、という祈りが込められているように思います。

ところで、私たちの毎日の生活は、いわゆる「戦闘状態」ではないものの、「平和」とは程遠いものです。悪意や嫉妬が渦巻き、ごう慢や偽善に満ちあふれています。また、争いの中にある人々と自分は無関係だから、「平和」でいられると思っているような人々の内も、真の意味での「平和」があるようには思えません。意図的に平和を取り除いているのではないのでしょうが、自分の身を守ることに終始してしまい、常に人より優位に立とうとする悪循環から、仕返しが復讐(ふくしゅう)を生み、競争が争いに発展し、もはやひとりの力ではこの負の連鎖をどうやって止めたらいいのか、途方にくれるような状態に置かれることもしばしばです。こんな時、相手を力でねじ伏せる対象と見るのではなく、誰しも神の子であるという事実を回復させること、神の前ではすべての人が貴く愛おしいものであるという事実を再認識する行為が、「主の平和」の内実なのではないかと思うのです。そしてそれを真に受けとめた時、「平和」のために私たちは何ができるのか、おのずと見えてくるのではないでしょうか。

「チャプレンからの今週の言葉」2010年10月25日号より