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  • 「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」

チャプレンの言葉

「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」 
(ヨハネによる福音書13章14-15節) 立教大学チャプレン 金 大原(キム デウォン)

2011年2月1日掲載

先日、学生の時から尊敬し続けてきた師匠が亡くなりました。リ・ヨンヒ(李泳禧、1929−2010)という韓国の方で、新聞記者と大学教授として働き、「現実を回避しない自由人」として生きてきた方でした。この先生は、知識人が現実から目をそらすのは背信行為と言って、良心と信念に従って発言や行動をしていました。まさにその信念のために、職場から追い出されたり監獄に入ったりもしました。学者であり闘士として生きてきましたが謙譲の美徳も備えた方で、先生ご自身についての評伝の発刊を極力反対されたそうです。フランスの日刊紙『Le Monde』(ル・モンド)は、先生を「Maitre de Pensee(メートル・ド・パンセ:思想の恩師)」と呼びました。

誰かが今の時代を嘆いて、「見習うほどの人間がいない時代だ。先生は多いが師匠はいなく、学生は多いが弟子はいない」と言いました。もちろん先生と弟子との関係が以前のようではないかもしれませんが、表現が悲観過ぎるのではないかと思います。

「三人行必有我師」、これは中国の春秋戦国時代、魯の思想家である孔子(BC 551-479)の『論語』に載せられた文です。「三人で同じことを行えば、他の人の善を見て従うことができ、また、不善を見て反省できるので、自分の師とすることができる」という意味です。習おうとすれば、師匠はいつどこでも会えるはずだという話でしょう。

眺めることだけでも胸が熱くなった師匠を失って悟ります。他の所で探す必要はなく、まさに私たち自らが弟子になり、師匠になれば良いのだということを。

「チャプレンからの今週の言葉」2010年12月13日号より