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チャプレンの言葉

「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。」
(ローマの信徒への手紙8章18節)立教学院チャプレン長 佐藤 忠男

2011年5月16日掲載

−あの頃のことなど−

 朝とタのほとんどきまった時刻に、私の家の前を、明るい茶色のジャケットに紺色のズボン、頭にはベレー帽で、パイプをくゆらし、ステッキを友としながらゆっくりと通り過ぎていく人がおりました。当時は戦後間もない頃で、一般の服装といえば、男性は軍隊からの払い下げの国防色といわれたカーキ色の服を着、女性の多くはモンペ姿で下駄履きの人が普通であって、華やいだ色彩はありませんでしたので、前述の人は極めて異彩を放っていたものでした。父は、あの方は細越さんと言い、偉い人なんだが、とても腰の低い人だと感心していましたが、当時、中学生だった私には、何となくバタ臭い感じだったために、私の中では「ミスター・ホソゴエ」としてインプットされておりました。それから暫く経って、ミスター・ホソゴエは立教の出であることを父から聞きました。やがて私は高校へ進み、大学受験の波音が聞こえ始めた頃、教会の牧師さんが立教大学を勧めてくれました。このことを父に伝えると、細越さんと同じ大学になることで喜んでくれました。

 こうして立教大学に合格してはみたものの住む所はない。しかし、遠い親戚の叔母が板橋区に居ることが分かり、上野駅の待合室で会うこととしたが、叔母も私も両者共に面識がない。そこで、赤いカーネーションの造花を封書で叔母に送り、「僕も同じカーネーションを胸に付けてますから」と一筆添えました。約束の日の午前、上野駅に到着。せいぜい多くても50人の盛岡駅の待合室しか知らない私にとって、上野駅のそれは想定外のものでした。その時の私の服装は頭は丸坊主、旧陸軍の将校用のコートに、これもまた払い下げの軍靴。まさに復員軍人さながらの格好。胸には赤いカーネーションでした。叔母も私もお互いに会った事がない同志。隣りにいたとしても分からないわけです。頼みの綱は互いの胸の赤いカーネーションの造花一つだけです。ずいぶん長い時間が経ったように思えたその時、目の前をカーネーションの花が横切る。瞬間、「叔母さん」と叫んだ。生まれて初めて見る叔母との出会い。東京暮らしの始まりです。最初は友達もなく、淋しかったが、こんな時の私の唯一憩いの場所はチャペルでした。独りチャペルに居て目を閉じれば、やがて心の寂しさが消えていくのでした。

「チャプレンからの今週の言葉」2011年4月11日号より