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チャプレンの言葉

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」
(ヘブライ人への手紙 第11章1節)立教学院チャプレン長 上田 亜樹子

2011年6月1日掲載

 何もかも変わってしまったあの日から2ヶ月近く経ち、私たちは新学期を迎えました。直接の被災者でない自分にとっても、世界がすっかり変わってしまった気持ちは拭えないままです。疑問すら抱かず頼りにしていたものや、当たり前だったものが、一瞬にしてその姿を消してしまい、つかみどころの無い不安が周りに漂う中、新年度のスタートを切らなければならない現実があります。

 こんな時に、何を望めばいいのか、それさえもよくわからない気持ちです。「今まであった物や人や生活」が大前提にあり、その上で何かを望むことはできても、大前提が何処にあるのかよくわからなくなった今、さて自分がどうなりたいのか、何をどうしたいのか考えることは、ますます難しくなってしまったということかもしれません。
 一方、明るい面だけを見つめて、そんな不安はないふりをしよう!という凌ぎ方もあるでしょう。目の前に立ち塞がる不安や痛みから一時逃避する手段として、それを考えないことにするのは、時には役に立つこともあるでしょうが、後になれば時間が経っても何も変わらない現実と、必ずいつかは向き合わなければなりません。

 ところでチャペルでは、毎年「信じること、生きること」という授業を提供していますが、その中で見る『運命を分けたザイル』という映画の話をしたいと思います。それは、二人の登山家がアンデスにあるシウラ・グランデ峰という山の登頂に成功しますが、その帰り道で遭難する話です。標高6400m地点で、一人が雪崩に巻き込まれ骨折してしまいますが、もう一人は、骨折して歩けなくなった人と自分を長いザイルで結び、やがて猛吹雪となった斜面を、降ろし始めます。ところが途中で、氷の絶壁で宙づりになってしまったことに気がつかず、お互いに連絡もとれないまま日が暮れて、ますます気温も下がってきたので、滑落の危険を避けてザイルを切ってしまいます。その結果、骨折した彼は深いクレパスに落ち、真っ暗な中一人で死ぬしかないと確信します。しかし彼は、這って移動できるあらゆる可能性を探り、「もう誰も自分の生存を信じていないに違いない」という心の囁きと闘い、恐怖と孤独の数日間をかけて、遂にベースキャンプに辿りつきます。その時彼が自分に課したのが、「20分間だけ生きてみる」という挑戦でした。圧倒されるような長い距離、つまり助けを得ることのできる地点までの全行程を視野に入れると、何か生き残る可能性があるなどという考えは、まるきり非現実的に思えて、もうすべてをあきらめてしまいたくなります。途中で生きることを投げ出したくなる誘惑と闘い、今出来る事は何かという課題だけに心を集中して、ベースキャンプに辿りつくまで、「20分間の挑戦」に勇気をもって留まり続けた実話です。

 私たちの日常は、こんなに劇的ではないし、「ベースキャンプ」が何処なのか、今一つはっきりしないことも多いでしょう。しかし、もう無理なんじゃないかという囁きと、もうおしまいなんじゃないだろうかという絶望感は、結構身近にあるのではないかと思います。もちろん、何か突破口が考えられるなら、全力を賭けて取り組まなければなりませんが、そんな可能性も見えない時、「絶望」する方が楽に見えてしまうことがあります。そんな意味では、絶望を受け入れないのは、苦しい選択かもしれません。でも、いよいよ先が見えない時に、すべてをあきらめてしまう選択ではなく、息をしている最後の瞬間まで、私は「今出来る事」に心を留める努力をしたいと思うのです。私たちにいのちの息を吹き込み、一つひとつの歩みを見守り、そしてどんな状況にあっても決して傍を離れない方の存在を信じて、「20分間の挑戦」を私は自分に課したいと思います。

「チャプレンからの今週の言葉」2011年5月2日より