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チャプレンの言葉

「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」(ローマの信徒への手紙5章3b−4節)立教大学チャプレン 八木 正言

2011年8月8日掲載

あとになって振り返って、あのときの苦労が、あるいは耐え忍んだ時間が、自分を成長させたと思えることが確かにある。

しかし、辛いとき、苦しいとき、その渦中にあっては、このときがやがては自分に役立つのだとはなかなか思えないのが現実。あの経験が生きたんだと思えたり、あのときのがんばりが今の成長につながっていると実感できるのは、あくまでも「あと」になってからのことなのではないだろうか。頭では「この苦難が、ここで耐え忍ぶことが、やがては希望を生むのだ」と考えることができたとしても。

聖書は、苦難が希望を生むとは語らない。苦難から希望までの間に忍耐を要し、その忍耐によって練達の域に入り、そこではじめてその道程に希望が芽生えはじめると語る。別の言い方をすると、苦難のただ中で楽観させてくれる期待や、外からもたらされる助けは希望とは言わないということか。さらには、希望とは、練達の域で芽生え、練達の域に達するには忍耐が必要で、忍耐のないところ、すなわち楽や安心安定のみを求め続ける姿勢からは抱くことができないものだということなのかも知れない。

苦難などない方がいいとは思う。しかし苦難を避けてばかりはいられないのが現実だとすれば、やがてはそこから希望をくみ取れるような苦難の受け止め方をしたいと願う。それは、確証はなくとも、希望を抱くことのできる可能性がたとえ1%であったとしても、自らを賭ける価値のある生き方なのではないだろうか。

「チャプレンからの今週の言葉」2011年7月4日号より