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チャプレンの言葉

2013年3月1日掲載

かつて仲良くしている友人がいた。よく一緒に遊んだし、互いにいろいろな相談もした。たくさんの時間を共有し、お互いに心の内を話し合っていると思っていた。しかしある日、その友人の口から「俺には心を許し合える友人は誰もいない」という言葉を聞き愕然(がくぜん)とした。私がその言葉に困惑していると、彼は私の様子を察して「悪いけど、俺は君とは合わないと前から思っていた」と告げられた。かなりのすれ違いである。私はその友人に対して自分の思いを多く語り、自分を知ってもらっていたつもりでいたが、相手の思いを十分に聴いて相手を知ろうとしていなかったのではないかと振り返った。

私たちは心に物差しを持っている。その物差しであらゆる物や事柄を測り、善悪や好き嫌いや可否などを判断している。この物差しは私たちの経験や知識、感性によってつくられている。しかし、この物差しは本当に全幅の信頼を寄せるに値するものだろうか。一つの出来事、一つの言葉、一つの経験で、私たちの物差しは簡単に伸び縮みし、場合によっては全く違う形になることもある。

古代イスラエル王ダビデの後継者として王となったソロモンは、神から「何事でも願うがよい。あなたに与えよう。」と問われると、「わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。」、「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕(しもべ)に聞き分ける心をお与えください。」と願い出た。繁栄する国の王となった者が、地位や名声や富ではなく、物事を正しく判断することができる心の物差しが与えられることを願った。聖書では正しい心の物差しを知恵と呼ぶ。

私たちはそれぞれが持っている物差しで判断を繰り返し、日々を過ごしている。その判断がなければ、何事も進んでは行かない。しかし、自分が善い、正しいと判断したことが、周りの人々や状況にとっても同じとは限らない。まして、私たちの物差しは簡単に形を変え、長さを変えていくものだ。自分の持っている物差しが正しいものとは限らないという謙虚さは、私たちを自分以外の声を「聴く」ことへと導いていく。自分以外の声を「聴く」姿勢は、私たちの物差しをより豊かに、より深いものへと変えていく。謙虚に「聴く」姿勢が、私たちに知恵を与える源となっていくのだと思う。

「チャプレンからの今週の言葉」2012年12月17日号より