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チャプレンの言葉

2013年7月8日掲載

「明日地球が滅亡しても1本のリンゴの木を植える」。よく知られた名言である。あまりにも有名なこの言葉から、私は二つの単語を思い浮かべる。それは「希望」と「未来」である。

現実がいくら辛くて大変であっても、一筋の小さな希望さえあれば、そして変化が期待される明日さえあれば、人間はその苦しみに打ち勝って力を得ることができる。しかし、もし何の希望も持っていなければ、現実がいくら簡単に見えてもその人生は疲弊するだけだ。実際に、貧しいけれども幸せな人、お金持ちなのに不幸な人を、私は数え切れないほど見てきた。少なくとも人生において金や権力、現実的な地位などの目に見えるものより、希望や思い出などの目に見えないものが幸福を左右することは確かである。

なぜこのような矛盾した結果がもたらされるのか。私はその糸口を、世界の終わりと1本のリンゴの木とを対比させたこの言葉の中からつかむ。それは他ではなく「人間自身」にある。全てのことが人間というプリズムを通ると相対化する。とんでもない夢を見、現実的な制約を飛び越え、運命の前にひざまずかないのは人間だけであるからだ。現実から完全に離れた思想的・宗教的な価値や信念を追求することも、やはり人間だけが可能なことである。

もちろんこのような人間の属性の中には絶望と希望、堕落と救いがコインの表裏のように共存する。貪欲に陥って欲張り、競争することがある一方で、心を空にし、譲り、分かち合い、自分を犠牲にすることもある。すなわち終末をせき立てたり、リンゴの木を植えたりする存在は、他ではなく人間自身なのだ。

私は9年前、ホームレスというリンゴの木を選んだことがある。アメリカの劇作家アール・ショーリス(Earl Shorris)の経験をベンチマークして、ホームレスのための人文学教育講座を開設し、希望を失った人たちに哲学、歴史などを勉強する機会を設けたのだ。このプログラムの目的は、ホームレスの人たちに貧しさから逃れるための競争力を持たせることではなく、貧しくて悲惨な中でも自分を守り、本当の幸せは何か、価値のある人生は何かを考えさせることであった。

冷たい競争社会の中で、果たしてこれは実現できることなのか、夢物語なのではないか、と葛藤したことも多々あったが、このプログラムはたくさんの人々の支援のおかげで継続し、2013年で設立9年目を迎える。その成果を評価するにはまだ早いが、この活動は少しずつ広がり、各地で貧しい人々のための人文学講座が開かれていて、この世界には、まだまだ希望があると感じている。

先日、韓国から来日したある福祉館の館長から温かい話を聴き、心機一転の機会を与えられた。

その福祉館に裁判所から社会奉仕命令を下された青少年たちが来たそうだ。このような場合は掃除など、力のいる仕事を任せることが多いが、その館長は彼らの手に本を握らせた。たとえ決まっている時間をやりすごすために無理やりに読んだとしても、ひょっとしたらその本が彼らを変化させるかもしれない、という期待があったのだろう。その期待は失望に終わらなかった。その青少年たちはいろいろなことを考えるようになり、気づかされたことが多いと感謝して帰ったということである。

とても嬉しかった。まだこのような温かい人がいるのだ。このようなとき、儀礼的に対する人もいるのに、この館長は子どもたちを一つのリンゴの木と思い、希望をもって接したのだ。このような人がいる限り、世界はまだ美しいと言えるのではないか。

彼を送って帰る時、ふとある歌の詞の一部を思い出し、鼻歌を歌いながら歩いていた。それはジョン・レノン(John Lennon)の『イマジン』であった。彼は、皆が平和に生きる世界を夢見ていて今は夢想家と言われるかも知れないが、いつかはみんな仲間になり、世界は一つになるだろう、と歌っていた。

雑誌『立教』第225号より