トップページへ戻る
教員メッセージ RIKKYO CLOSE-UP 連続シンポジウム RIKYO VOICE 伊集院静エッセイ
まだ始まったばかりの復興活動〜三宅島帰島支援ボランティアに参加して〜
 2000年に起きた三宅島・雄山の噴火。今年2月に避難指示解除が出され、一部の島民の方は帰島を始めています。しかし、島はまだ噴火の爪痕を色濃く残したまま。そのような三宅島に自ら飛び込んで帰島支援ボランティア活動に参加した大庭さんに、ご自分の目で見た島の現状やボランンティアの活動内容などのお話をうかがいました。
●ボランティアに参加したきっかけについて教えて下さい。


溶岩で覆われている地面
  「三宅島で島民の方々の帰島支援をしませんか?」以前ボランティアでお世話になったNGOスタッフの方からこのようなメールをいただいたのが、そもそものきっかけでした。それまで私は2000年に起こった三宅島の噴火災害を忘れかけていたところで、現在の三宅島の情報も全く持ち合わせていませんでした。しかし避難生活から4年半が経ったその時でもまだ、島の雄山は火山活動を続けていて、有毒ガスの危険があるのにもかかわらず島民の方々は帰島していると聞き、「なぜ島へ帰ることを選ぶのだろう。そこではどのような暮らしが待っているのだろう」と疑問が生まれました。
 私にとって災害ボランティアは初めての試みで、現地で一体何ができるのかという漠然とした不安がありました。しかし、まずはこの目で状況を見てみなくては何も始まらないと思い、このボランティアの参加を決めました。

●これまでどのようなボランティアを経験されていますか?

 これまではNGOのボランティアに参加していましたので、その団体が主催するイベントのサポートなどが中心でした。ボランティアというよりは自分自身が楽しめるような内容で、今回の三宅島ボランティアとは正反対と言っていいのものだったと思います。

●現地での活動内容を教えて下さい。


いつも携帯していたガスマスク
 今回は約1週間、20〜30人のボランティアがいくつかの班に分かれて、要請のあったお宅で活動をしました。主な活動としては、引越しの手伝いや草刈り、除灰作業、家の中の掃除等です。私は合計4軒のお宅を訪問しましたが、どのお宅もご高齢で体が不自由になってしまった方々が一人で、またはご夫婦だけで帰島されていました。しかし4年半という空白、そして有毒ガスと灰の影響で電化製品は使えなくなり、家も錆び付いてしまっていたり・・・。現実は私の想像以上に厳しいものでした。
 三宅島では、常にガスマスクを携帯していなくてはなりません。幸い私が滞在している期間中にマスクをつけて避難しなければならないということはありませんでしたが、風向が変わった時や二酸化硫黄濃度が基準を超えた時など、1日に何回も警報が鳴るので、常に不安がつきまとっているような感じでした。

●ボランティアメンバーの構成について教えて下さい。


ボランティア仲間と事務所(兼宿泊施設)前で
  ボランティアは20代から40・50代の方までと幅広い年齢層で構成されていました。ただ、その中で学生は私ひとりでした。期間が4月3日から9日まででしたので授業との関係もあったのかもしれません。それと、作業は肉体労働ですのでメンバーのほとんどが男性。女性は私も含めてたった3名でした。
  宿泊施設も兼ね備えたボランティアセンターの事務所は、老人福祉施設だったところを使用していましたが、センターはすでに閉鎖しています。ボランティアはずっと続けるものではないのかと思われるかもしれませんが、やはりどこかのタイミングで打ち切って、それ以降は自分達の力でなんとかしていくように、流れを作ってあげることが理想的な形なのだそうです。

●活動の中で、最も印象に残っていることは何ですか?

  5日間の活動の中で特に強く印象に残っているのが、1日目に訪問した82歳のおばあさんのお宅です。家の中は引越しのダンボールで全く片付いていない状態で、さらに庭は灰が積もってしまって、ここからおばあさんの新たな一人暮らしが始まると思うと、悲痛な思いに駆られました。それでもおばあさんは私達に明るく話かけてくださり、まるで自分の孫のように可愛がってくれました。そんな和やかな雰囲気の中で私達は部屋の片付けや、窓拭き、除灰等を行ないました。
  時々、おばあさんは三宅島に対する気持ちを話してくださいました。村の親しい人と別れて暮らした避難生活はとてもさびしかったこと、そして自分が生まれ育ったこの地で、戦争の時も離れずにいたこの島で、残りの人生を過ごしたいということ。こんなに荒れてしまった家でも、やはり三宅島で過ごしたい、というおばあさんの切実な思いが伝わってきて、2人で涙を流しながら話をしていました。

●三宅島の様子はどんな感じでしたか?


ガスの影響で枯れてしまった樹木
  このように1日1軒のお宅を訪問し、活動を行なってきましたが、移動手段は車に限られました。三宅島にはいくつか高濃度ガス地区があり、そこを通る場合があったからです。車の窓から見た高濃度ガス地区は、想像を絶する不気味な世界が広がっていました。ガスと火山灰の影響で山全体の木々が真っ白く枯れてしまい、まるで原爆を受けたかのようでした。また、ある民家の壁には「もう頑張れない SOS」と書かれていて、島民の苦しみを目の当たりにし、私は言葉を失いました。自然災害は容赦なく自然環境と人の人生を変えてしまいます。誰のせいにすることもできません。しかし、この不条理とも言える厳しい現実を島民は受け入れ、復興へと進まなければなりません。
  滞在中、島民の方の話を聞いて「自分の知らない世界でこんなことが起きているんだ」「自分は何事もなく平和な日々を過ごしているけれど、このような生活を余儀なくされている方々が現実にはたくさんいるんだ」と認識を新たにしました。

●活動を通じて感じたことを教えて下さい。

  「私は島民の方々に何ができただろうか。」―活動をしながら、この問いを自分自身に問いかけていました。長期的な視点にたって島の復興を考えると、除灰や草刈り等、私が行なったことは取るに足らないことだったかもしれません。しかし島民の方々との交流を通じて、三宅島以外の地域でも島民を応援したいと思う人々がいる、というメッセージを一人一人に伝えることができたのではないかと思います。ささやかではありますが、島民の方々の心の支えになることができたならば、今回このボランティアに参加した意義は十分にあったと考えています。

●今後のご予定を教えて下さい。


枯れた樹木と壊れてしまった建物
  私が離島して普段の生活を送っている現在も、島民の方々は被害の現実と向き合っています。島が観光で経済的に復興するだけでなく、島を愛する島民の方々が生き生きとした生活を送れるようになること、これが島の今後の目標だと考えています。
  私はこの1週間の経験を自分の中だけに留めておくのではなく、多くの人に伝え、共有することで三宅島への関心をもっていただきたいと思い報告書を作成し、サークルの仲間に配ったり、大学のボランティアセンターに置いてもらったりしました。
 このように何らかの形で今後も三宅島を応援していきたいと思っています。 そしていつか観光として三宅島を訪れて、島で出会った人々と再会を果たし、多くのことを学ばせていただいた感謝の意を伝えたいです。きっと私が訪れたこの4月よりも復興が進んで、島が活気づいていることでしょう。再び島民の方とお会いすることを楽しみにしています。

ニュースの詳細は朝日新聞紙面で。» インターネットで購読申し込み
asahi.comに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
| 朝日新聞社から | サイトポリシー | 個人情報 | 著作権 | リンク| 広告掲載 | お問い合わせ・ヘルプ |
Copyright 2005 Asahi Shimbun. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.