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私の研究室から

「手すり無きコミュニケーション」のすすめ

2009年11月2日掲載

  • 授業風景
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私の研究分野は、コミュニケーション学です。と自己紹介しても、たいした説明にならず、逆に「コミュニケーション学って何?」と聞き返されることが多いのが、コミュニケーション学に従事する者のつらいところです。一つの学問分野を定義するのは意外に難しいことですが、コミュニケーション学の場合、マス・コミュニケーション研究、対人コミュニケーション研究、スピーチ・コミュニケーション研究など学問分野や領域が多岐にわたるため、この傾向が特に顕著で、学問により、研究者により、コミュニケーション学の説明が大きく異なります。従って、この拙文も、コミュニケーション研究・教育に携わる一個人の見解ととらえていただければ幸いです。

本題に入ります。一般的にコミュニケーション学は「実用的な学問」だと思われているようです。例えば、英語の参考書では「コミュニケーション・ツールとしての実践的な英語」といった表現が頻繁に用いられますし、大学のコミュニケーション学科のホームページには「社会のニーズに応える高い人材の輩出」といううたい文句がしばしば見受けられます。また、大型書店に行くと、「コミュニケーション力」「コミュニケーション技術」を題名に冠した「マニュアル本」「自己啓発書」「ビジネス応用書」が数多く出版されていることが分かります。そして、そのような一般書では、大抵の場合、「円滑な人間関係を築くため」「ビジネスで成功するため」「自分を魅力的に見せるため」「相手を思いのままに動かすため」のコミュニケーションのコツや秘訣が記されています。

正直に申し上げて、私自身は、コミュニケーション学が「実用的な学問」かどうかを深く考えたことはありませんし、さほど関心もありません。むしろ、「なぜ、<社会のニーズ>が、多くの場合、<企業や産業界の要請>を意味するのか」「なぜ英語によるコミュニケーションが<実用性>と結びつけて語られる傾向にあるのか」といった問題に興味を抱きます。それは私の専門分野の一つが、「コミュニケーション批評」であることとも関係しているでしょう。コミュニケーションを「習得すべき技術」ではなく、「分析の対象」ととらえるコミュニケーション批評の基本的なアプローチは、社会におけるさまざまな「行為」「出来事」「論争」「現象」「問題」のコミュニケーション的側面に焦点を当て、「言葉が社会で持つ力」や「力が言葉に与える影響」を考察し、特定の「語り」を可能にし、説得力を持たせる社会的条件や言説空間を理解することにあります。例えば、女性ファッション雑誌の記事に、しばしば、「自分の体を使って男を獲得する」というメッセージが含まれていること、世界中で流行しているオンライン・ゲームにアジア人に対する人種差別的な言説が見受けられることなど、社会における「語り」に一定のパターンを見い出し、そこに通底するメッセージを批判的に読み解き、介入することがコミュニケーション批評の目的であると言えます。

私は、コミュニケーション批評の授業の履修者に、コミュニケーションの三つの側面を強調することにしています。一つ目は、コミュニケーションの偏在性です。これは、会話や演説といった明らかなコミュニケーション行為だけでなく、博物館や記念碑といった建築物、テレビ・ゲームのような娯楽作品、社会運動やストライキ、そして病気や戦争に至るまで、社会のあらゆるレベルでコミュニケーションが作用しているということです。例えば、「テロ戦争」や「正義の戦争」という表現が示すように、戦争は常に「言葉の戦い」(war of words)でもあり、また患者の多くは病気だけでなく、病気のイメージにも苦しみます(詳しくは、E.W.サイード『戦争とプロパガンダ』みすず書房、 2002年、S.ソンタグ『隠喩としての病・エイズとその隠喩』みすず書房、2006年をご一読ください)。無論、戦争や病気がコミュニケーションの問題に還元できるわけではありませんが、社会におけるコミュニケーションの偏在性を示す一例と言えるでしょう。

二つ目は、コミュニケーションの問題を、個人の能力に還元することの問題点です。なぜなら、そうすることで、コミュニケーションが持つ歴史性・政治性・社会性を捨象してしまうからです。言葉には歴史性があり、それを無視して話すことはできませんし、仮に話したとしても意味不明の発話になってしまうでしょう。そのため、私たちは、大抵の場合、既に説得力のある言葉を使って、相手を説得しようとします。つまり、ある意味、話し手ではなく、言葉が聞き手を(そして話し手自身も)説得しているのです。さらに、社会学者の宮島喬氏(元本学社会学部教授)が『文化的再生産の社会学』(藤原書店・1994年)で指摘したように、「言語の使用とは、ほとんど常に広い意味での権力行使の文脈のなかで捉えられる必要」(124ページ)があります。例えば、笑顔で「気をつけてね」と声を掛けられると、通常は、親切な人からの優しい言葉と解釈するでしょう。しかしながら、赤信号で停止線をうっかり飛び出してしまったオートバイの運転手に、警察官が笑顔で「気をつけてね」と言った場合、「次は交通違反を見逃さないぞ」という「警告」に聞こえるかもしれません。このようなやり取りは、警察官と運転手という制度に担保された権力関係の中で初めて意味を持ちます。こうした力の関係は、ほぼすべてのコミュニケーション状況で働いており、言葉の使用と権力の相互作用に着目せずには、たとえ家庭内で私的な会話でも十分に理解できないことが多いのです。

最後に強調することは、「コミュニケーションは望ましいもの」という素朴な考えと距離を置くことです。学校や職場で問題が起こると、その原因を「コミュニケーション不足」に求めることがよくありますが、そこには「コミュニケーションをすれば、状況が改善される」といった前提があります。残念ながら、コミュニケーションはそれほど単純なものでも、便利なものでもありません。逆に、何気ない一言が相手を傷つけることがあるように、コミュニケーションをした結果、問題が悪化することも珍しくありません。さらに大事なことは、「コミュニケーションは××である」と断定できないくらい、コミュニケーションは不確実で複雑なものだということです。私たちは、事の真偽がはっきりと分からないまま、将来がすべて見通せないまま、そして相手を完全に理解できない状態で、コミュニケーションをしなければなりません。20世紀を代表するレトリック研究者のケネス・バークは、人間のコミュニケーションは常に不完全なものであると述べています。私たちは、不完全であることを知りながらも、コミュニケーションを避けることができず(“we cannot NOT communicate.”)、またコミュニケーションを通した一種の「権力の行使」からも逃れることはできません。そして、バークにとって、この不完全さこそが、コミュニケーションの魅力だったのです。

以上、私がコミュニケーション批評の授業で強調していることを三点ほど書きましたが、このようなことを知っていても、外国語が上達したり、人間関係が良くなったり、ビジネスで成功したりするわけではありません。ただし、複雑化・不確実化する現代社会において、コミュニケーションの「マニュアル」や「ルール」がそれほど「実用的」だとも思いませんし、悩みや問題を劇的に解決するコミュニケーション上の「秘訣」があると考えるのも「非現実的」でしょう。哲学者のハンナ・アレントは、現代社会においては、一般的な規則や基準を設けずに物事を熟慮し、その是非を判断する「手すり無き思考」(“thinking without a banister”)が必要であると主張しています。同様に、私たちの生きる社会では、コミュニケーションの不確実性や複雑さに目を向け、コミュニケーションが一種の権力行使であることを自覚しながらも、他者とどうかかわるべきなのかを模索し、実践する「手すり無きコミュニケーション」(communicating without a banister)が求められているように思います。コミュニケーションの日常性や偏在性にもかかわらず、コミュニケーションを深く掘り下げて考える機会は、さほど多くありません。授業の中でコミュニケーションを巡る問題を考え、議論し、そしてレポートなどを書くことを通して、言葉の説得力や作用、そしてその前提や倫理について理解を深めることができれば、「手すり無きコミュニケーション」の実践に多少なりとも寄与すると思います。そういう意味で、大学でコミュニケーションを学ぶことは、「実用的」と言えるのかもしれません。

「立教」第210号掲載より

師岡 淳也(もろおか・じゅんや)
師岡 淳也(もろおか・じゅんや)
異文化コミュニケーション学部 異文化コミュニケーション学科 准教授

1996年3月 獨協大学外国語学部英語学科 卒業、
1998年5月 米国ウェイク・フォレスト大学大学院コミュニケーション学科 修士課程修了、
2006年4月 米国ピッツバーグ大学大学院コミュニケーション学科 博士課程修了(Ph.D. in Communication)、
2005年3月 神奈川大学外国語学部英語英文学科 専任講師、
2008年4月 同准教授、
2009年4月 立教大学異文化コミュニケーション学部 准教授

【所属学会】
日本コミュニケーション学会 、全米コミュニケーション学会、国際コミュニケーション学会

【主要研究テーマ】
・日本における外国人労働者問題を巡るレトリック
・ピエール・ブルデューとコミュニケーション

【著書・論文】
“Between Two Evils I Refuse to Choose the Lesser. Cultural Studies, 17 (3-4), 326-348. 2003.5-6(共著)
The Rhetoric of the Foreign Worker Problem in Contemporary Japan. (Doctoral dissertation, University of Pittsburgh). 2006.4 (単著)
「Rhetorical Criticism as a World-Disclosing Critique: A Nietzschean Perspective」『ヒューマン・コミュニケーション研究』第35号、109-125頁。2007.3(単著)
「表象は国境を越えるか?超過滞在外国人による「日本(人)」のレトリカルな使用について」 『日本研究のフロンティア』第2号、7-26頁。2009.5(単著)