メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

09月19日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

新着記事一覧へ

私の研究室から

関わり合いの中から 観光学部 教授 豊田 由貴夫

2013年12月9日掲載

パプアニューギニアとの関わり

私は、パプアニューギニアという地域を文化人類学の視点から研究している。なぜパプアニューギニアという国を研究しているのかと問われると、答えるのは難しい。文化人類学を研究する際には研究調査地を決めるのが普通であり、大学院学生の時期に調査地を決める必要があった。当時、文化人類学の理論はイギリスのアフリカ研究と、アメリカのネイティブ・アメリカン研究から発達してきていたのだが、始まったばかりのニューギニア研究では、社会構造を研究する際に今までの理論が当てはまらないということが言われ始めていた。私はそれに興味をひかれたこともあり、その他に多少の偶然もあったのだが、いくつかの候補地から最終的にパプアニューギニアを調査対象地として決めた。

その後、大学院時代に海外へ留学する奨学金を得て、オーストラリアのシドニー大学に留学し、そこで人類学とパプアニューギニア研究の指導を受けて、パプアニューギニアに調査に向かった。初めてこの国を訪れたのはもう30年近く前であるが、最初に1年半ほどの長期の調査をして以来、毎年のように通っているので、恐らくもう30回近く通っていることになるのだろう。パプアニューギニアのいくつかの地点で調査を行ってきたが、基本的には電気も水道もない村で人々の生活を調べる、という作業を続けてきた。調査地が町から離れた地であることから、近代化の影響、特にキリスト教の影響や、経済発展の可能性、伝統的農業のやり方などを研究テーマとして扱ってきた。

近年は、さすがに村での調査が体力的にきつくなってきたこともあり、町や都市でも調査を行っていて、パプアニューギニアという国に対する国民のアイデンティティがどのように生まれているのかという問題を考えている。パプアニューギニアという国は、独立する前から地域としてのアイデンティティが存在していたわけではなく、文化的な共通性も小さかったのだが、そのような地域が宗主国の都合で独立を決められた、という経緯がある。民族運動の結果、独立を勝ち取ったわけではなく、いわば「外から独立を与えられた」国家という性格が強い。独立が1975年と比較的最近であるため、住民も国家に対する意識は弱く、現在も国家というものがつくられていると言え、その過程がリアルタイムで見られる。この点が、現在私がもっとも興味を持っている研究テーマである。

地域研究という視点から

  • イメージ
  • パプアニューギニアの子どもたちに
    ビデオを見せているところ

文化人類学は対象地域を決めて、その地域の言語習得を前提として調査を行うことから、地域研究の側面もある。また、文化人類学は対象地域を総合的に学ぶ学問であるということからも、対象地域に関してさまざまなことを知る必要がある。私の場合もある程度これを意識して、パプアニューギニアに関しては広く関心を持つようにしてきた。パプアニューギニアという国自体が日本では珍しいので(最近はそうでもないようだが)、この国のことに関してはマスコミからも質問がきたりして、それに対応したりしているとさらに何でも知っていることが当然のようになってくる。これに加えて、東京農業大学が行うパプアニューギニアの長期の農業調査に参加する機会があり、それ以来、熱帯農業についても文化人類学の立場から研究をしてきた。特にサゴヤシという植物は私の調査地域の主食なので、これについても片手間ではあるが研究を続けてきた。このサゴヤシという植物について説明を始めると長くなるので省略するが、日本サゴヤシ学会という学会があり、学会の運営に深く関わっている。

以上のように、パプアニューギニアという地域をめぐっていくつかのテーマを同時に並行して研究してきた。あるオーストラリア人から、「あの論文を書いたトヨダと、この論文を書いたトヨダが同じ人物だとは思わなかった」と言われたことがあったが、これは私が一見関係無さそうな研究テーマを同時に扱ってきた(別の言い方をすれば「節操が無い」)ことを表している、あまり自慢にならないエピソードである。