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香山リカ対談
これからの社会の”成熟のかたち”を考える
評論家 宮崎哲弥×立教大学教授・精神科医 香山リカ

4月1日掲載

“力の思想”にのみ込まれていく若者たち

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  • ではシニカリズムと表裏一体となった力の思想への対抗軸とは何か。フランス現代思想家たちはその応答をキリスト教の伝統に見出していった

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香山 小泉さんの話とも関連しますが、メディアが一斉に讃えていた人がある時を境に急にバッシングを受けることがよくあります。いわゆる「風向き」というものは、どこで決定されるのでしょう。

宮崎 「風」はカタストロフィックな現象なので、予測することは困難でしょう。しかし、ここにこそ政治の本質があるともいえます。シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』を読めばわかるように、古代的でシンプルな支配の政治のなかでも、その「風向き」はちょっとした言い回しの差で変わってしまう。まして、高度情報化社会のメディア政治においては、ほんの些細なファクターが重合しながら、「風」という結果をもたらしているわけですが、ますます、予測不能性が高くなってきています。

香山 少なくともかつて若者と言われていた人には多勢を疑うという姿勢があったように思いますが、今はそういう姿勢がほとんど見られないような気がします。

宮崎 おそらく、いま指摘したような、「誰にも制御困難な全体状況」に対するシニカリズムが蔓延したせいでしょう。ここでいうシニカリズムとは、シニシズムよりも現状肯定の傾向の強い、スローターダイクの「シニカル・リーズン」とほぼ同義と考えてください。しかし、それはある意味では社会の成熟と複雑化の帰結といえるかもしれない。

香山 でも、政治は別としても、例えば流行や通俗を批判するという動きもないのは、なんとも寂しい。

宮崎 シニカリズムに対抗するには、別の言い方をすれば、合理性のローカルミニマム(局所最小解)に陥らないためには、偶有的でありかつ特異で超越的な「信念」がバックボーンとして存在してる必要があると思うな。批判の根拠ですね。

香山 批判ではなくて、やっかみやひがみでもいいのに。コネでどんどん就職が決まっている同級生にも「あの子ずるいよね」という声も出ない。私は別にやっかめと言っているわけではないけれど、「あの子のお父さんは社長だけど、私は普通の家に生まれてしまったからしかたないよね」とか言って妙にものわかりがよくて、見ていて歯がゆいんです。

宮崎 いや、しかし、その種の「やっかみ」とか「ひがみ」というのは、所詮シニカリズムの裏である「力の思想」のパラダイムのなかの内戦でしょ。「やっかみ」や「ひがみ」は「力の思想」を超え得ないが故に、早晩シニカリズムに落着してしまうでしょう。
ではシニカリズムと表裏一体となった力の思想への対抗軸とは何か。フランス現代思想家たちはその応答をキリスト教の伝統に見出していった。
ところが、日本社会にはそのような世俗合理性=“世間”への準拠を突き破る、超越への指向性が乏しい。そこが結局、「力」には勝てないというシニカリズムへの頽落を生んでいるんだと思う。

香山 思いやり、優しさといったようなものでは弱いですか?

宮崎 それらは世間共同体のなかにおいて規定されるものに過ぎないでしょう。犯罪加害者への「優しさ」が被害者側の権利主張の抑圧に転じ、また、犯罪被害者に対する過剰な「思いやり」が刑法の厳罰化を要請する。そうした矛盾を増やしていくだけで、「力の思想」の対抗軸にはなり得ない。
もっとも「思いやり」や「優しさ」も、クリスチャンのカリタス(チャリティ=他者愛)までいけば別の意味を持ってきますが。

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