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香山リカ対談

「海を見る自由」と立教の精神 渡辺 憲司(立教新座中学校・高等学校校長) × 香山リカ(立教大学教授・精神科医)

2011年6月1日掲載

一人ひとりの生活を思い浮かべる想像力を持て

香山 海の話に戻りますけど、当初思い描いていらしたのは、どこまでも青い大海原のことでしたよね。そこに津波が起きて、多くの命を奪う海に変わってしまいました。

渡辺 困ったなと思いましたよ。海を見に行けと言った海は津波になって荒れ狂い、憎んでも憎みきれない憎悪の海になってしまいましたからね。

香山 その様子をニュースなどでご覧になってどう思いましたか?

渡辺 ただただ驚き、悲しむばかりで、言葉はありませんでした。大震災が起きたあのとき、言葉を持っていた人はあまりいなかったでしょう。

香山 いませんでしたね。

渡辺 1755年に起きたリスボン大地震も大惨事でしたが、あのときは震災後にルソーやヴォルテールたちが作品を生み出し、フランス文学の流れが大きく変わっていった。今回の震災についても、恐らく何年か後に描写する人が出てくるでしょうね。そのとき、どういう言葉が紡ぎだされるか興味深い。
ところできょう、香山さんにもう一つだけお話ししたいことがあるんです。立教大学に限らず、大学の建物はどこもすごく立派ですよね。だけど、今回の震災では幼稚園、保育園の園児たちがたくさん犠牲になっていて、それがどれも1階2階の低層で、脆弱(ぜいじゃく)な造りになっていて、そこが壊滅したんですよ。これっておかしいと思いませんか? 小さい子どものいる建物より、ずっと年長の大学生がいる建物のほうが立派というのは、どう考えたっておかしい。むしろ、弱いものには立派な建物をつくらないといけないのじゃないですか。

香山 確かにそうですね。高齢者のデイケアの施設や、高齢者の方たちが多く避難した公民館などもかなり被害を受けていますよね。そこが津波の避難所に指定されていて、地区のお年寄りがみんなそこに逃げたら、津波が襲い被害に遭っている。弱いものが集う場が一番脆弱(ぜいじゃく)だというのはおかしな話です。

渡辺 どうしてそういう発想が生まれたのだろうと考えると、多分「孝」という概念が関係していると思います。「孝」というのは、もちろん以前からある考え方ですが、強く儒教の影響を受けたのは江戸時代に入ってからで、親に尽くす、という考えになった。そこで日本では「孝」という概念に忠がくっついてしまった。忠孝っていいますよね。国家への「忠」と「孝」の概念がセットになって、それで親孝行を褒める。「孝」の反意語は何ですかと僕はよく聞くのだけど、「不孝」と答える人がほとんどです。でも実は慈愛、慈しむという「慈」なんです。親がいて子がいたら、親は子に対して慈、子は親に対して孝なんです。

香山 なるほど、孝を返すですか。

渡辺 慈孝というのは、見返りを求めることなくただお互いの幸せを願っている親子の愛のことなんです。ところが孝行を国が褒めて表彰までしている。そこから間違ってしまった。母の日に、それぞれがお母さんに対して愛情を向けるのはいいけれど、学校で「明日は母の日ですからお母さんに感謝しましょう、カーネーションをあげましょう」などと先生が言うのはどうでしょうか…? だってその中に1人でも親のいない子どもがいたら、悲しい思いをするだけじゃないですか。その子のことを考えなければいけない。

香山 それは先ほどからおっしゃっている、個別のそれぞれの生活やら考えやら事情やらがあり、学校というのはたとえ集団であったとしても、あくまで個の集まりだということですよね。だから私も今回の震災でもときどき発言しているのは、「復興を」と言うけれど、別に総体として復興するわけではないし、1万数千人亡くなったと言っても、1万数千人という何かがあるわけではなくて、一人ひとりが1万数千人いるということなのです。もちろん、まったく個別にその人それぞれの支援なんてできるわけではないけれども、忘れてはいけないことだと思うんですよね。

渡辺 忘れてはいけない。そして一番大事なのは、それを忘れてはならないのは誰なのかといえば、国というものを考えている人たちですよ。

香山 そうですね。

渡辺 政治家とか役人とか公の考え方を持っている人たちが、個別のことを考えるのは非常に厳しいときに、あえてそれを考えるという姿勢が、大切なのではないか。

香山 だから、常に自分の中でジレンマとか葛藤があるべきですよね。でも、それはとても難しいことです。震災対策でも、避難住民とひとくくりにしすぎて制度をつくろうとしているので、「それに当てはまらないこういう方もいますよ」と言うと、「言われてみればそうだ。でも、そんなことを言ってたら何も決まらない」などと、個のことは忘れようとしてしまう。でも少なくとも、そういうひとくくりにできない個々の生活への想像力だけは絶対に必要だと思います。

渡辺 口幅ったいようだけど、教師というのは特にそういうことを大事にしていくものだと思いますね。40年もやってきて、僕なんか国文の注釈者で、専門は遊廓史だけど、根っこは同じだと思いますよ。

香山 これからも「あの渡辺先生」って言われそうですね(笑)。どうしますか?

渡辺 同じですよ。もう変わりようもありません(笑)。

渡辺 憲司(わたなべ・けんじ)
立教新座中学校・高等学校校長。 立教大学名誉教授。

1944年北海道生まれ。68年立教大学文学部日本文学科卒業。71年同大学文学部文学研究科(日本文学専攻)修士課程修了。76年同博士課程単位取得・満期退学。98年文学博士。横浜市立横浜商業高校(定時制)、武蔵高校・中学各教諭、梅光女学院大学短期大学部・文学部講師、同助教授を経て88年立教大学文学部助教授。90年同大学教授。同大学文学部長、同大学院文学研究科委員長、同大学評議員などを歴任し、2010年4月同大学名誉教授。2010年8月より立教新座中学校・高等学校校長、立教学院理事に就任。専門は日本近世文学、遊里史など。著書に『時に海を見よ』(双葉社/2011年6月15日刊行予定)。

香山 リカ(かやま・りか)
立教大学現代心理学部教授、精神科医。

1960年札幌生まれ。東京医科大学卒業。臨床経験を生かして、新聞、雑誌などの各メディアで、社会批評、文化批評、書評など幅広く活躍。著書に、ベストセラーとなった『しがみつかない生き方』『勝間さん、努力で幸せになれますか』ほか、『いまどきの「常識」』『ぷちナショナリズム症候群』『なぜ日本人は劣化したか』など多数。