公開2007年6月1日
黒澤明監督にまつわる資料をデジタルアーカイブ化

 龍谷大学理工学部が、黒澤プロダクション、日本SGIと共同で作成作業を進めている「黒澤明デジタル・アーカイブ」。そこには黒澤監督に関するありとあらゆる資料が収録されており、世界で最も有名な日本人と言われる黒澤監督と、世界中の映画人との交流の記録も数多く残されている。今回はその一端を見てみよう。
(映画評論家・春岡勇二)

敬意は地球規模

 「『七人の侍』は黒澤映画のなかでも私の好きな作品の一つだ。(中略)あんな映画はかつて見たことがなかった。強烈で、心の深部を揺さぶられる体験だった。本物の映画を見たときの感動があった。映画製作に関してまだ未熟だった私にも、それがとびきりの映画であることは一目瞭然(りょうぜん)だった」  これは黒澤監督が亡くなった1998年に出版された毎日ムック「黒澤明の世界」に書かれているジョージ・ルーカス監督の言葉。あの『スター・ウォーズ』シリーズの監督であり、『インディ・ジョーンズ』シリーズのプロデューサーのルーカスだ。彼はさらに言う「映画監督としてのクロサワは天才だ。人間としてのクロサワはそばにいて実に心地よく、卓抜なユーモアを備えた善良な男性である」と。
 二人の親しい関係が伝わってくるが、黒澤監督の58年の作品『隠し砦(とりで)の三悪人』で、千秋実と藤原釜足が演じた二人組が、『スター・ウォーズ』のロボット・コンビ、C−3POとR2D2のモデルになったことは、いまや映画ファンの常識だ。また、ルーカスの仲間で『インディ・ジョーンズ』シリーズを始め、『ジョーズ』『E.T.』『宇宙戦争』などの監督である世界一のヒットメーカー、スティーブン・スピルバーグも「黒澤明は日本文化が世界の映画愛好者にもたらした最高の贈り物である。黒澤作品の魅力は国境を超え、文化を超える。彼の作品を貫いているのは人間賛歌―英雄であれ悪人であれ―であり、その映画作りにかけるたぐいまれなる情熱は、地球上のすべての国の映画製作者の尊敬を集めている」と語っている。(同出)

世界の監督達と

 このように、黒澤明の作品と存在そのものが、世界中の映画人に多大な影響を与えたことは今更言うまでもない。「黒澤明デジタル・アーカイブ」にも、黒澤監督と世界中の監督たちとの交流を示す資料が多数収録されている。黒澤監督と共に写真に写っている監督だけでも、ルーカス、スピルバーグはもちろん、ウィリアム・ワイラー(『ローマの休日』『ベン・ハー』)、フランクリン・J・シャフナー(『猿の惑星』『パットン大戦車軍団』)、キング・ヴィダー(『チャンプ』『戦争と平和』)、アーサー・ヒラー(『ある愛の詩』)、ハーバート・ロス(『愛と喝采の日々』『マグノリアの花たち』)、ジョージ・シェーファー(『幸福の選択』)、ルーベン・マムリーアン(『喝采』)、黒澤監督の『羅生門』を『暴行』という題名の映画にリメークしたマーティン・リット、それに異色の映画作家として日本でも若い世代の映画ファンに人気のあった『東京暗黒街・竹の家』などのサミュエル・フラーら、10年代から20年代生まれの黒澤監督と比較的近い世代の監督から、黒澤監督からすれば若手のロン・ハワード(『アポロ13』『ビューティフル・マインド』)までいる。

フランシス・フォード・コッポラ監督

『ゴッド・ファーザー』シリーズや『地獄の黙示録』の巨匠フランシス・フォード・コッポラ監督とは、同監督の別荘に招かれている写真もある。

フェデリコ・フェリーニ監督

 以上はアメリカの映画監督たちだが、『禁じられた遊び』『太陽がいっぱい』などのフランスの名匠ルネ・クレマン、『道』『甘い生活』などのイタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニ、黒澤監督原案の『暴走機関車』を映画化したアンドレイ・コンチャロフスキー監督の実弟で、自身もロシアが誇る名匠である『愛の奴隷』『太陽にやかれて』のニキータ・ミハルコフ、ドイツ出身で『パリ、テキサス』『ベルリン・天使の詩』などの代表作を持つヴィム・ベンダース、さらに『悲情城市』『珈琲時光』などの台湾の名匠ホウ・シャオシェン、『友だちのうちはどこ?』『桜桃の味』のイランの才人アッバス・キアロスタミらも黒澤監督に敬意をもって接している。

ニキータ・ミハルコフ監督

 そんな人々の範囲は、スピルバーグが言うようにもはや地球規模だ。またすごいのは、ホウ・シャオシェンやアッバス・キアロスタミなど、日本では80年代に入ってから知られるようになった監督たちとも交流していることだ。黒澤監督は70歳を超えてなお、才能ある映画人にしっかりと目を配っていたのだ。これも映画にかける情熱の表れだろう。

テオ・アンゲロプロスとサタジット・レイ

テオ・アンゲロプロス監督

 そんな海外の映画人との交流を示す写真のなかに、興味深い注釈がつけられているものを発見した。そこには「溝口健二監督のワンシーン・ワンカットに影響を受け、(それを)徹底的に表現したこの監督を、黒澤氏は大変高く評価した」と記されている。その監督とはギリシャを代表する映画人で現在も活躍し続けるテオ・アンゲロプロスだ。彼の75年の作品『旅芸人の記録』が、79年に日本で初めて公開されたとき、10分を越える長いワンカットに祖国の歴史をギュッと凝縮してみせた手法に多くの映画人が驚嘆したが、黒澤監督も例外ではなく、その後、二人の間に親交があったことは知られていたが、黒澤監督は、あの長撮りを溝口監督の影響と見ていたのか。この注釈は、黒澤監督とアンゲロプロス監督が会ったときに同席していた人が書いたものと思われるが、ひょっとするとそのとき、『西鶴一代女』や『雨月物語』といった溝口作品が二人の間で話題になったのかもしれない。世界的な巨匠どうしが、日本のもう一人の巨匠について話しあう。想像しただけでも、なんだか誇らしい気持ちになる。

サタジット・レイ監督

 そしてもう1枚、気になる写真と注釈を見つけた。その写真に写っているのはインドの巨匠で、92年に亡くなったサタジット・レイ監督。そこには「黒澤氏は、こんな素晴らしい人間は見たことがない、とまで言った。『大地のうた』は世界映画史上最高の名作。もし私が“釈迦(しゃか)”を撮るなら、“釈迦”をやれる人は、この人以外に考えられない、と言った」と書かれている。黒澤監督がレイ監督のデビュー作である55年の作品(日本公開は66年)『大地のうた』に深い感銘を受けたこと、さらに11歳年下のレイ監督の人柄に心酔していたことがうかがえる。それにしても、もし私が“釈迦”を撮るなら、の一言はいかにも映画監督らしいもので面白い。 注釈にはさらに興味深いことが書かれている。「サタジット・レイ監督の遺作を岩波ホールで黒澤氏、本多猪四郎氏と鑑賞、映画が終わったとき拍手をした。黒澤氏が、凄い、僕には撮れないと興奮して話した。ちなみにこのときが、黒澤氏と本多氏が会った最後のときになってしまった」と。
レイ監督の遺作とは、91年に撮られた『見知らぬ人』で、日本ではレイ監督が亡くなった92年に公開された。
 本多猪四郎については、日本映画ファンには説明不要だろう。『七人の侍』と同じ54年に公開された、日本が世界に誇るもう一本の映画、『ゴジラ』の監督であり、黒澤監督と同じ山本嘉次郎監督の門下生で、黒澤監督の親友。『影武者』から黒澤監督の最後の作品『まあだだよ』まで、5本の黒澤作品を演出補佐として支え続けた人だ。『まあだだよ』が公開された93年に亡くなったのだが、二人が最後に会ったのが、レイ監督の『見知らぬ人』を一緒に見たときだったとは知らなかった。「黒澤明デジタル・アーカイブ」は、興味の尽きない様々なことを教えてくれる。

(注:現在龍谷大学で進められているデジタル・アーカイブのコンテンツ・ホルダーは黒澤プロダクションであり、大学においては、あくまでも学術資料なので一般公開はしていません。)(次号2007年7月へつづく

春岡勇二(映画評論家)
はるおか・ゆうじ●1958年、島根県生まれ。大阪芸術大学卒業後、情報誌「プレイガイドジャーナル」に参加。映画担当兼副編集長を務める。88年に退社し、映画評論家として、主に関西を中心に活動する。現在、朝日新聞、雑誌「大阪人」「SAVVY」などで映画評を連載中。キネマ旬報ベストテン、朝日ベストテン選考委員

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