2003年、アフガニスタンのバーミヤン西方120キロで、写真家・中淳志氏(本学卒業生)が、ケリガンと呼ばれる8世紀ごろの仏教遺跡を発見。それを機に龍谷大学は、アフガニスタン国立考古学研究所とユネスコの支援を受け、05年から毎年、新たな仏教遺跡の発見と、仏教の伝播(でんぱ)ルート解明にかかる学術調査に取り組んでいる。現在はイスラム文化圏であるアフガニスタンで、発見が相次ぐ仏教遺跡群の持つ意味や、学術調査の目的などについて、調査隊長である入澤崇教授(古典籍デジタルアーカイブ研究センター・コンテンツ研究グループ/仏教文化学)に聞いた。

今年で3回目となるアフガニスタンの仏教遺跡調査の目的は、「仏教の西漸(西への伝播)を徹底的に探ること。インドで生まれた仏教が、どういう経路で東方の日本にまで入ってきたかという『仏教の東漸』については、本学と密接な関係を持つ大谷探検隊によるシルクロード調査(明治35年開始)に始まり、これまでにその研究と解明が進んでいる。しかし仏教は東だけでなく西へも広がっており、インドから、まず西に伝播し、パキスタン西北に位置するアフガニスタンにも仏像が存在している。その代表的な仏教遺跡が、01年、当時の支配勢力だったタリバンに爆破されたバーミヤンの大仏(世界遺産)である」と入澤教授。
アフガニスタン中央部に位置するバーミヤンには、かつて800を超える多くの仏教石窟(せっくつ)があり、仏教伝播の西限(西の端)であるとされていた。ところが今回、中淳志氏が、バーミヤンよりさらに西方の地点に、専門家ですら存在を知らなかった「ケリガン遺跡」を発見、同時にその存在が伝えられてはいたが詳しい調査がなされていなかった「チル・ボルジ遺跡」を確認した。「これまで私たちが予想もしていなかった西方で仏教遺跡が見つかったことに本当に驚いた。そして第1次調査で、『ケリガン遺跡』が仏教寺院跡であること、『チル・ボルジ遺跡』が城塞(じょうさい)跡であることを確認した。いったい仏教文化圏は、どこまで西に広がっていたのか、遺跡を調査しながら興奮した」と入澤教授は語る。

翌06年の第2次調査では、バーミヤンから約100キロ西方のダライ・アリ渓谷(ヤッカウラング郡近郊)で、これまで報告されていなかった「クシャ・ゴラ石窟」と「ムシュタック石窟」と呼ばれる二つの仏教遺跡を新たに発見。「未調査だった地域に点在する仏教遺跡をつなぐことで、仏教西漸のルートや、バーミヤン以西の大規模仏教文化圏の存在を解明する大きな手かがりになる。さらに西へ西へと調査を進めることで、将来はイランから仏教遺跡が発見される可能性もある」と、入澤教授は5カ年計画の調査の行方に大きな期待を示す。

仏教の起源は紀元前5世紀ごろで、アフガニスタンに仏教が伝播したのは紀元前3世紀ごろと言われている。川の流域が中心とはいえ、乾燥しきった中央アジアの地に多くの寺院を建設した遺跡を残した当時の仏教とは、民衆にとって、どういう存在だったのか。入澤教授は、「現在の仏教は僧侶が主導しているが、この地における仏教は、かつての王族や領主たちが国を治めるために受容し用いていた、いわば『政策』だったのではないか。また厳しい気候条件の中央アジアでは農耕を営めず、シルクロードに象徴されるような交易が人々の生活の基盤だった。各地に点在する寺院は、その交易商人たちが作り、商売の成功や旅の安全を願った場所なのではないか」と推定。第2次調査で、「ハミ・バザルガン(=商売をする所)」という意味の地名がついた遺跡を発見したことで、この仮説に自信を深めつつあるという。

「仏教とイスラム教との出あい」も、中央アジアの仏教遺跡調査における興味深いテーマの一つだ。「中央アジアではイスラム教が仏教を駆逐あるいは排斥した」という定説があるが、それを覆すような事実が仏教遺跡において多く発見されている。
たとえば前述の「ケリガン遺跡=仏教寺院跡」の近くに、タンギ・サフェイダックという村がある。「この村から1996年、バクトリア語(古代言語)で書かれた石板が出土した。碑文を解読すると、『この地域をアラブの支配者、つまりイスラムの勢力が支配するようになった時期にも、仏教徒がなお存在しており、しかも仏塔(ストゥーパ)が建立された』という、世界史の常識を覆すような史実が記されている。イスラム教は攻撃性ばかりが強調されがちだが、この碑文は、イスラム教と仏教が共存していたと思われる貴重な事例」と入澤教授。
また、仏教がイスラム教に影響を与えていた可能性も指摘されている。入澤教授は「カンダハル(アフガニスタン南部、タリバン発祥の地)の西にラシュカリ・バザールという、イスラム教の宮殿跡ではないかといわれる遺跡があり、そこに色彩豊かな人物像が描かれた壁画が発見されている。イスラム教は偶像崇拝を禁止しているが、仏教の影響を受けたと思われる華やかな人物像が、初期のイスラム芸術に表現されている。こういった文化の融合に私は注目している。現代は異質なものを排除する傾向があり、イスラム教と仏教の初期の出あい方や融合は、異なる民族や宗教の対立が激化する今日の問題を考えるうえで、非常に重視するべき史実だと思う」と語る。

このアフガニスタン学術調査では、今後も、仏教に関する既成概念を覆すような遺跡が続々と発見される可能性が高い。このシリーズでは、6回の連載(月1回更新)で、第1次・第2次調査の詳細をはじめ、第3次調査(今年度9月26日〜10月19日に実施)の新たな成果、貴重な発見の学術的価値などについて、さまざまなデジタルアーカイブと共に紹介していく。
入澤崇(龍谷大学経営学部経営学科教授)
いりさわ・たかし●1955年広島県生まれ。龍谷大学大学院文学研究科博士課程単位取得・文学修士。仏教文化学。アジア各地域における固有の文化と仏教との交渉を軸に、信仰・習俗・儀礼・美術などに着目して仏教の変容を研究している。佐和隆研博士学術奨励賞受賞。主な著書に『仏教初伝南方之路文物図録』(共著・文物出版社)、「アショーカ王柱と旗柱」(『仏教芸術』163)、「ナーガ(龍)と仏教」(『密教図像』6)。