公開2007年11月1日
中央アジアの新たな仏教遺跡の調査に挑む 21世紀の大谷探検隊、西へ

 新たな仏教遺跡を発見し、仏教伝播(でんぱ)の西限と未知なる伝播ルートを解明しようとする、龍谷大学・アフガニスタン新発見仏教遺跡学術調査が3年目を迎えた。複雑な地理や治安面の情報に通じた現地の人々と信頼関係を築き、未発見の遺跡に関する断片的な情報を追い続ける執念の調査が実を結び、中央アジアにおける仏教の痕跡は、アフガニスタン中央部で仏教の西限と言われたバーミヤンから西へ西へと広がっている。調査隊長の入澤崇教授(仏教文化学)に、第1次調査(2005年)と第2次調査(2006年)の成果や、その学術的意味などについて聞いた。
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イスラムの建造物(城塞跡)が、仏教研究の対象に

アフガニスタン周辺地図
ヤッカウラング周辺の遺跡

 第1次調査が行われたのは、2005年10月21日〜11月4日の約2週間。写真家・中淳志氏(本学卒業生)が発見し調査のきっかけとなった、バーミヤン西方の「ケリガン遺跡」と「チル・ボルジ遺跡」を訪れ、詳細な調査に着手した。アフガニスタンの遺跡は、19世紀に駐留していたイギリス軍人が徹底調査しているが、「これまでケリガン遺跡の存在を確認した専門家は一人もおらず、調査が行われるのも初めて。アフガニスタン東部の仏教遺跡と同種の仏塔(ストゥーパ)があり、仏教寺院跡とみて間違いない」と入澤教授は断言する。

人物画
バーミヤン石窟の
壁画
チル・ボルジ
チル・ボルジ遺跡

 ケリガン遺跡の西北に位置する「チル・ボルジ遺跡」もバンデ・アミール川流域にあり、遺跡の存在自体は以前から知られていたが、調査隊が入るのは初めてだ。「チル・ボルジ」とは、『40の望楼(ボルジ=見張り塔)』という意味。イスラムの大規模な城塞(じょうさい)跡だが、望楼の下部にある、土砂で埋もれた遺構に壁画が 、わずかながら残っており、頭からリボンのようなものをたなびかせた人物が描かれている。バーミヤンの石窟にも同じ図柄の壁画があることから、チル・ボルジ遺跡も、仏教遺跡である可能性が出てきた。仏教が廃れた後、イスラム勢力がやってきて、仏教寺院を再利用し要塞を建造したのではないか。よもやイスラムの建造物が、仏教研究の対象になるとは思わなかった」と、入澤教授は調査の予想外の展開に驚きながら、中央アジアにおける仏教とイスラム教の出会い、あるいは融合に想(おも)いを馳(は)せる。

仏龕と独特の石窟構造が仏教遺跡の証拠

サレ・スム遺跡
サレ・スム遺跡

 第1次調査では偶然にも、ケリガン遺跡の西1キロの地点で、新たな仏教石窟「サレ・スム遺跡」を発見した。この石窟は、4層(4階建て)7室という構造で、第1層には、高さ4m・幅5m・奥行き15mの大型石窟が、そして第4層の石窟の正面奥には、おそらく仏像を安置したと思われる仏龕(ぶつがん=壁をくりぬいた仏壇のようなもの)が存在しているという。

仏龕
仏龕

 入澤教授によると、「発見した遺跡が仏教遺跡か否かを判断する時、そこに仏像や壁画が発見されない場合は、他の仏教遺跡と同じ様式の仏龕や、そこに仏像を置いた形跡があるかどうかが大きなポイントとなる。サレ・スム遺跡は、石窟同士が階段や通路で結ばれているという特異な構造もバーミヤン石窟と類似している」という。

 調査隊は他にも、ケリガン遺跡の東2キロの地点に、約60の石窟が群を成す「ザイナル遺跡」も発見。ここを仏教遺跡と断定する物的証拠は発見できなかったものの、石窟の一つから、幅193センチの仏龕らしき痕跡が確認されたという。

新たな仏教遺跡を探索。合言葉は「望楼を目印に」

クシャ・ゴラ石窟
クシャ・ゴラ石窟

 第2次調査が行われたのは、翌2006年9月28日〜10月24日の27日間。調査隊は、第1次調査で発見・確認した、ヤッカウラング近郊の「ケリガン遺跡」「サレ・スム遺跡」「チル・ボルジ遺跡」で、世界初の3次元測量(詳細は次回以降に紹介)を実施。3遺跡が発見されているバンデ・アミール川に沿って、流域に点在すると思われる新たな仏教遺跡を求め徹底調査を開始した。

 「チル・ボルジ遺跡のような望楼を持つイスラムの遺跡を、現地の人たちの協力を得て、くまなく探し回る作戦を立てた。第1次調査における経験から、望楼の下には必ず仏教石窟が存在するはずだと考えた」と入澤教授。村人の情報を頼りに勇んで足を運んだものの失望するケースが続出したが、ヤッカウラングの東南約10キロに位置するダライ・アリという村に入った時、入澤教授は周辺の景色を見まわし息をのんだという。「ダライ・アリ渓谷の周辺は、石窟が存在すると報告されながら、19世紀に訪れたイギリス調査隊を最後に本格的な調査が行われていなかった場所。仏教とイスラム教の共存を示すバクトリア語の碑文が出たタンギ・サフェーダック(Vol-1で掲載)とよく似た地形と、石灰岩を含んだ白っぽい山肌が目に飛び込み、もしやと興奮した」と入澤教授。予感は的中し、調査隊は、チル・ボルジ遺跡のような泥レンガでできた望楼を持つ「クシャ・ゴラ石窟」を発見。望楼の下部にある石窟が通路で結ばれているという、やはりバーミヤン石窟と類似した構造も確認した。

ムシュタック石窟

 この発見を手掛かりに調査隊は、さらなる村人たちの情報により、「クシャ・ゴラ石窟」から東南1キロの地点に、七つの石窟からなる「ムシュタック石窟」を相次いで発見。そそり立つ絶壁に穿(うが)たれた石窟には、村人たちが住居として使用していた形跡があるものの、中央部の石窟に、やはりバーミヤン石窟などと類似した様式の仏龕が、ほぼ原型をとどめた状態で確認できたという。

 第2次調査では実は、「クシャ・ゴラ石窟」「ムシュタック石窟」の他にも、チル・ボルジ遺跡の南に、もう一つ、心躍るような遺跡を発見している。「大量の土砂に埋まっていたが、ここにもバーミヤン石窟と同じ独特な建築様式が見られ、壁画も残っている。大規模な発掘が必要だが、掘り出せば、ケリガン遺跡より大きな仏教遺跡の可能性もある」と入澤教授は目を輝かせ、今後の調査に期待を示す。

 これら第1次・第2次調査の成果を基に、今年度は9月26日〜10月19日の24日間、さらに西方のイスラム世界へと仏教伝播の痕跡を求め、第3次調査を実施した。調査の詳細や成果については、調査隊が現地から持ち帰った貴重な写真資料などを整理・検証し、回を改めて紹介していく。

入澤崇(龍谷大学経営学部経営学科教授)
いりさわ・たかし●1955年広島県生まれ。龍谷大学大学院文学研究科博士課程単位取得・文学修士。仏教文化学。アジア各地域における固有の文化と仏教との交渉を軸に、信仰・習俗・儀礼・美術などに着目して仏教の変容を研究している。佐和隆研博士学術奨励賞受賞。主な著書に『仏教初伝南方之路文物図録』(共著・文物出版社)、「アショーカ王柱と旗柱」(『仏教芸術』163)、「ナーガ(龍)と仏教」(『密教図像』6)。

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