公開2008年5月1日
古典の教養がステイタスだった中世・近世、源氏物語が和歌の世界を変えた

 日本の代表的古典文学である「源氏物語」54帖(じょう)は、写本・版本により多少の違いはあるものの約100万文字にもおよぶ長編で、800首近い「和歌」を含む王朝物語の傑作だ。当時の人々の心を強くとらえ基本的教養とされた「源氏物語」が、後世の和歌に与えた影響などについて、和歌史と学問史(古典学)を専門とする日下幸男教授(文学部日本語日本文学科)に聞いた。

当時の著名な歌人は古典学者でもあった

日下幸男教授 (文学部日本語日本文学科)

 日下教授が興味を持っているのは、特に中世末期から近世前期にかけての、和歌と古典学の歴史。「当時の著名な歌人は、和歌はもちろん、源氏物語など古典文学の研究家である場合が多い」という。
 たとえば、戦国時代から江戸時代初期を生きた公家「中院通勝(なかのいんみちかつ)」は、第107代天皇・後陽成院(ごようぜいいん)歌壇の主要人物であると共に、細川幽斎から中世歌学を継承した学問史上の重要人物。源氏物語の注釈書である「岷江入楚(みんごうにっそ)」を執筆した、古典学の研究家でもあった。日下教授は1974(昭和49)年ごろから約30年以上、中院家の旧蔵書で中院本(ちゅういんぼん)と呼ばれる公家文書の研究を重ね、そこで得た知識などを、龍谷大学論集(463〜467)に「中院通勝年譜稿」として結実させている。
 一方、その中院通勝の古典学の師が、有職故実(ゆうそくこじつ)(古来の朝廷や武家の礼式・典故・官職・法令・装束・武具などを研究する学問)に通じ教養人として知られた戦国時代の武将、細川幽斎(細川ガラシャ夫人の夫、細川忠興の父)だ。細川幽斎は、藤原定家の歌道を受け継ぐ三条西家に代々伝わり、古今和歌集の語句などを解釈した「古今伝授」を、三条西実枝(さんじょうにしさねき)から伝授され、中世歌学を集大成させた人物である。
 この「古今伝授」にかかわる歴史研究も、日下教授の重要な研究テーマとなっている。「古典の教養は、中・近世の人たちのステータスでした。古今伝授は古今和歌集や三代集の単なる注釈書ではなく、古典教育のためのプロセスと仕上げとしての秘説伝授、現代風に言えば『古典教育の総合的カリキュラム』だったといえます。当時は武士が全国に勢力を拡大し、朝廷は武力をもっては、もはや武家社会に君臨できない時代状況でした。そのため公家たちは、和歌や源氏物語などの古典に関する教養などで文化的価値の頂点を極めようとしていたのです」

源氏物語などのイメージを重層させ和歌を詠んだ


日下教授がいとおしげに眺めるのは
「岷江入楚」(クリックで拡大)。
公家・中院通勝による源氏物語の注釈書で、
先行注釈書を集大成したもの。

 その「古今伝授」をはじめとする、古典学を研究してきた日下教授にとって、千年紀を迎えた源氏物語とは、どのような存在なのか。「和歌には『本歌・本説(ほんか・ほんぜつ)』という技法があります。本歌取りというのは、たとえば三代集(古今集・後撰集・拾遺集)の和歌などの語句やイメージを自歌に取り込むこと。本説とは、何かの物語や故事などを表現のよりどころとすることです。歌人たちは、5・7・5・7・7というわずか31文字の中に大きな世界を作るため、模範となる和歌や物語を下敷きにすることで、イメージの重層を図りました。そして源氏物語が誕生し広く読まれるようになったことで、作中の有名な場面や和歌を下敷きにした新しい表現が可能となりました。源氏物語によって和歌のイメージ世界が大きく広がったといえるでしょう。ですから当時の歌人たちにとって、源氏物語を学ぶことは基本中の基本だったはず。江戸時代以前の教養ある人たちは、三代集の和歌などをすべて暗記していました。彼らが源氏物語54帖のストーリーを全部頭に入れていたとしても不思議ではありません」と日下教授。
 しかし中世以降になると時の流れと共に日本語も大きく変化し、当時の人たちですら源氏物語などの古典を読むために注釈書が必要となった。そのため室町時代には「源氏小鏡(げんじこかがみ)」のような梗概書が生まれ、江戸時代には北村季吟(きたむらきぎん)著の「湖月抄」のような注釈書が多く出版された。先に述べた「岷江入楚」も、細川幽斎の「携帯に便利な古注集成を」という希望があり、先行の源氏学を集大成すべき必要を中院通勝自身も感じて、古注を整理し、耳に残る三条西実枝の講釈の聞書を加えたものだという。

日下幸男教授 (文学部日本語日本文学科)

 さて、その貴重な源氏物語や注釈書、歌集のほか、「紫式部像」、「源氏御哥かるた(げんじおんうたかるた)」などが鑑賞できる「龍谷大学大宮図書館2008年度特別展観・王朝文学の流布と継承」が、5月9日〜25日の17日間(無休)、龍谷大学大宮学舎本館展観室で開催される。細川幽斎に和歌を学び古今伝授を受けた公家・烏丸光広(からすまみつひろ)の注釈書「光広卿百人一首抄」や、「下絵百人一首注」など、日下教授の個人コレクションである天下一本の貴重図書も展示される。「源氏物語の専門家はもちろん一般の源氏物語ファンも楽しめる内容」だということ。合計68点の解説と主要写真とが掲載された図録を手に、じっくりと王朝文学の世界に浸ることができる。


日下幸男(文学部 日本語日本文学科)
くさか・ゆきお●1949年大阪府生まれ。大阪教育大院、大阪府立大院博士後期課程修了。博士(学術)。専門分野は国文学、国語教育学、図書館学。研究分野は和歌史・文化史。主な著書は『近世古今伝授史の研究地下篇』(新典社・1998)『歌論歌学集成14』(共著・三弥井書店・2006)ほか

 龍谷大学大宮図書館は、国宝や重要文化財などをはじめとする様々な貴重資料を多数所蔵しており、これらを広く社会に紹介することを目的に、毎年「展観」を開催しております。本年度の展観では、「源氏物語千年紀」を記念し、『源氏物語』をはじめとする平安朝文学の諸作品に関連する貴重資料を下記のとおり公開展示いたします。
・開催期間:2008年5月9日(金)〜25日(日)
・開館時間:午前10時00分〜午後5時00分(入館は午後4時30分まで)
・休館日:無休(会期中は土・日も開館)
・場所:龍谷大学大宮学舎 本館1階展観室
・備考:入場無料・申込不要(直接会場にお越しください)


 公開される展示品の中から、代表的なものを、WEBでいち早くご紹介します。

江戸前期写 列帖装 54帖
(縦16.1×横16.1センチ)
龍谷大学大宮図書館所蔵(中川文庫本)
 灰青色表紙の中央に金泥模様入り白地題簽(だいせん)を貼り「きりつほ(一)」などとある。升形本、8行書。黒い塗箱に54帖揃で入れられてある。

 

 

万治3年(1660年)刊 有欠29冊
(縦14.7×横21.4センチ)
龍谷大学大宮図書館所蔵
 万治3年に林和泉掾(はやしいずみのじょう・当時の出版業者)が刊行した横本の絵入(えいり)版本である。本来は60巻30冊で一揃いであるが、当該本はそのうちの1冊を欠く。

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