人間のこころや行動について、さまざまな社会的見地から探究する心理学。その領域は広く、人文系すべての学問にかかわる。なかでも、学校や家庭での子どもや親のこころの問題を考えるのが「教育心理学」だ。その学びはどんなものか、どのように指導しているのか、文学部哲学科教育学専攻の吉川悟教授にうかがった。
教育心理学とは、学校や家庭などの教育の場において、子どもや親、その周辺の人々のさまざまな特徴や行動をこころの面から研究する学問です。学問と名がつくと、既存の知識を身につけていれば、すべてがうまくいくように考えられがちですが、そうではありません。机上の学びと現実の落差がもっとも大きい分野でもあります。
例えば、カウンセリングなどで目の前の人と対峙(たいじ)した時、心理学の基本知識は必ずしも当てはまりません。基本はあくまでも基本であり、その人の個別の状況とセットにしなくては、適切な判断や理解はできないでしょう。数学の公式のようにこうすればこうなる、という決まった形がわかれば、まちがいなくノーベル賞がもらえるはずです。
とはいえ、教育心理学はここ数十年で大きく進化しました。人のこころの発達に関することがよりわかるようになるとともに、こころのあり方が周囲のかかわり方と関連していることも明らかになってきました。また、約20年前までは、カウンセリングを深く会得するには、臨床実践の経験を積まなければなりませんでした。しかし今では、トレーニングの仕方も含めて、経験年数が短くても身につけられる知識体系へと少しずつシフトしています。

教育心理学を学ぶ者にとって大切なのは、人に興味があることです。人とかかわりながら、何かを伝えたり共有したいという思いがなければ、学ぶ意義はありません。堅苦しく考える必要はないのです。わかり合えることがすべてではなく、わかり合えないことを考え、理解することにこそ、教育心理学の面白みがあるのかもしれません。違いを理解することが共生(ともいき)なのですね。
また、「まじめだけどまじめ過ぎない」ことも重要です。人のこころを対象とする学びですから、どれだけ考えても絶対にわからないことがあります。いい加減な姿勢ではだめですが、自分自身がつぶれてしまってもいけません。時には「まあいいか」と割り切る潔さも必要でしょう。その場その場によっていかに上手に切り替えができるか、メリハリがもてるか。これはけっこう難しく、僕もいまだにできていませんが、そういう資質が、教育心理学を学ぶうえで望ましいのだと思います。
心理学を学び、人に興味をもつといろんな分野へ興味が広がります。心理学の枠におさまりきらず、さまざまな学問分野や社会的な活動を学ぶことにもつながるでしょう。ですから僕は、学生の興味や関心をできるだけせばめず、学生の視点を大切にし、その視点を伸ばすための指導を心がけています。
学生に卒論を書かせる場合、テーマを与えてまとめ方を手取り足取り指導するのが教員にとって一番簡単な方法です。けれどそれでは、学生は面白くありません。そもそも学部生の卒論は、学術的な先駆性より、自分の関心をいかに学術的な形にまとめられるかが肝心です。自分の興味や関心からテーマを見つければ、心理学の枠をこえての勉強や体験が必要となり、大変でしょうがやりがいのある卒論となります。
例えば数年前、こんな学生がいました。肉牛が食卓に上がるまでのプロセスに興味を持った彼女は、いずれ殺される牛を育てるというジレンマがある畜産家のこころを研究したいと、フィールドワークに出ました。まともに行っても学生など相手にしてくれないので、まず彼女は、畜産家の仕事を手伝いに行き、人間関係を築きながら2年かけてリサーチを続けました。それを卒論に仕上げたのですが、僕は学問的な方法論をいくつか示唆しただけです。彼女の知りたいというエネルギーが実を結び、ある学会賞を受賞するほど評価の高い論文となりました。
本学の学生は非常に素直でまじめなのが特徴です。おとなしいというイメージがあるかもしれませんが、素直でまじめな学生に「興味」が加味されると、大きなエネルギーが生まれます。この「興味」という潜在的に秘められた能力を生み出す補助を行い、本学の学生が積極的に活動を行う姿を見守ることが私の大きな喜びです。
龍谷大学で心理学を学ぶ学生の実習機関として、大きな役割を果たしているのが大宮キャンパスに隣接する「大人と子どものこころのクリニック」(龍谷大学大学院文学研究科臨床心理相談室)です。開設して6年、子どもから大人まで幅広く心理的な相談を受け付けています。
その特徴として、ここでは僕も含めて当大学の教員(臨床心理士)がカウンセラーを務めています。大学院生の実習施設ですから、院生がそのカウンセリングの現場に同席し、臨床の現場を体感して学べます。一般に、カウンセリングは相談者とカウンセラーの二者関係が基本なので、こうした体験はとても貴重です。おそらく他の大学では行っている所は少ないですし、社会に出てからもチャンスはないでしょう。
このクリニックでは、教育心理学コースの3回生以上の学部学生にも、ルールにのっとった上で出入りを許可しています。希望があれば、学習支援やプレイセラピーの手伝いなど、ボランティアとして臨床の仕事の一部を体験できます。学部生の段階から、例えば不登校や発達障害の子どもと実際に接することで、仕事の大変さも早くから経験できます。
今年、文学研究科教育学専攻(臨床心理学領域)は、臨床心理士の第1種指定校となったこともあり、クリニックの存在は、今後ますます学部や大学院のレベルアップに貢献するでしょう。
教育心理学で用いる心理療法に、家族療法(ファミリーセラピー)があります。シンプルに言うと、個人を相手にするのではなく、人同士のつながりをいかに変えていくか、という療法で、僕の研究テーマのひとつです。
ちなみに家族療法は、1950〜60年代は「家族を治す」療法でしたが、80年代には「家族と治す」「そこにいる人と協力する」療法に変わりました。それ以降、“悪いのは家族”といったイメージをもちやすい家族療法という言葉を変え、学校関係、医療関係、社会の組織など多彩な人間関係にも使えるよう「システムズアプローチ」という名でも呼ばれています。
具体例を示します。過保護の母親は、過保護にしたいのではなく、子どもが注意散漫で朝の支度ができないので過保護になります。そんな母親に過保護をやめるように言ってもむだです。もし本当に過保護をやめたら、子どもは忘れ物をたくさんするでしょうし、母親はそれを放っておけません。家族療法では、母親が少し手をかけないで見守ることと、子どもが持ち物チェックをするという行動の変化を同時に促します。変化の領域を徐々に増やしていき、親子をよりよいかかわりが生まれるように導きます。つまり、問題に困っている当事者全員が同じ進行で変化することで、人間関係に変化が起こるのです。
最近では、スクールカウンセリングにも家族療法の考え方が取り入れられています。子どものカウンセリングでは、従来は親との面接は必要ないとされていましたが、今では、親とも会い、本人了解のもと教員と情報を共有し、教員同士のカンファレンスに色々な情報を提供することが多くなっています。これらは、まさに家族療法の特徴であり、今後もさまざまな場でこころの問題の解決に必要とされるでしょう。
※吉川悟教授が所属する文学部はこちら
http://www.let.ryukoku.ac.jp/