公開2008年8月1日
龍谷アカデミックラウンジ

 紫式部が著した古典文学、源氏物語54帖(じょう)のうち、最後の10帖は宇治を主な舞台としており、通称「宇治十帖」と呼ばれている。その最初の巻である「橋姫」の巻名は、主人公の1人である「薫の君」が物語の中で詠んだ和歌「橋姫の心をくみて高瀬さすさをのしづくに袖ぞぬれぬる」に由来している。平安京の人々にとって「橋姫」とは、そして「宇治」とはどんな存在だったのか。源氏物語が書かれた時代背景などについて、歴史地理学を含む様々な学問分野から古代史に取り組む平林章仁教授(文学部)に聞いた。

源氏物語は古代史を解き明かす史料の一つ

平林章仁教授 (文学部)

 「私は日本古代史を専門としていますが、文字で書かれた史料だけで古代史を復元するのではなく、歴史地理学や、考古学、文化人類学、民俗学、国文学など様々な学問分野の成果を取り入れ、総合的に古代史を考えたい」と平林章仁教授。主軸であった奈良時代までの歴史から、最近は、平安時代の政治史・経済史などにも研究の幅を広げつつあるという。「平安時代は、国風や和様と言われる日本的なものが形成される出発点となった時代。国文学の分野ではすでに多くの研究が蓄積されていますが、古代史分野からのアプローチは比較的少なかったのです」
 そんな平林教授が最も関心を寄せているのが、それぞれの時代に生きた人間のあり方だ。「平安時代に関しては、時の支配者が編纂(へんさん)した歴史書や貴族の日記などの史料が比較的豊富に残されています。支配者・被支配者を含む当時の人たちが人間としてどのように生きたのか。何を思い、考えていたのかに迫っていきたい。その意味で源氏物語は、平安時代や当時の人間を考察する史料の一つとして非常に興味深い存在です」
 平林教授が源氏物語を読んで興味をそそられる部分は、その卓越した人間描写だという。「人間の内面まで描いている点において、我々古代史の研究者も大いに参考にすべきだと思います。歴史学はあまり人の内面に頓着しない傾向があります。歴史上の政治・経済のあり方も大事ですが、歴史学が目標とするのは、人間が何を考え、悩み、どういうことを喜びとして生きていたのか、つまり人間とは何ぞやというところ。そういう部分までわからなければ、歴史的な全体像を学問として描ききっているとはいえないように思います」

「宇治」という場所と「橋姫像」に見る平安時代

平林章仁教授 (文学部)

 平林教授によると、源氏物語は決してハッピーエンドの物語ではない。「全編に人間の苦悩、あるいは心の闇といったものが漂っています。光源氏や、薫の君、匂(におう)の宮を含む貴族たちは、華やかな宮廷生活を送っていても決して心は満たされていない。そんな心の闇や、やがて老い死を迎えるという仏教的な無常観が漂っていると感じます」
 平林教授は宇治十帖の最初の巻である「橋姫」にも、当時の人たちの闇が色濃く感じられるという。例えば、作中、薫の君が宇治で見初めた大君(おおいぎみ/桐壺帝八の宮の長女)に送った和歌に登場し、巻名ともなった橋姫について、「和歌に詠まれた橋姫とは、宇治の橋姫のこと。宇治橋のたもとにある橋姫神社に今も祀(まつ)られている水の女神です。古今和歌集(905年成立)の中には『さむしろに衣片しき今宵もやわれを待つらむ宇治の橋姫』という橋姫をうたった和歌が見られ、源氏物語が書かれた時には、すでに宇治橋に橋姫が祀られていました」
 しかし橋姫の話は、時代を経る中で大きく変容していく。「奈良時代の『山城国風土記』の逸文ではないかとされる史料には、海に出かけ竜神に気に入られ婿にとられてしまった夫を、宇治の橋姫が懸命に探し続け、やがてまた二人仲良く生活するようになるという話が記されています。ところが時代が下った平家物語の異本『源平盛衰記』の『剣の巻』では、嵯峨天皇の時代に、ある貴族の娘が非常に嫉妬(しっと)深く、心変わりした男と相手の女を取り殺すため鬼神にしてほしいと京都の貴船大明神に願い、宇治川に21日間浸り続け、生きながら鬼となった橋姫の話が記されています。そういう、おどろおどろしい橋姫像は一挙に出来あがったものではありません。おそらく平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて生きた人たちの内面や思潮が強く作用して、『剣の巻』に見るような橋姫像へと変容していったものと思われます。そこに平安時代の人たちの心の働き(闇)といったものを読み取ることができるような気がします」

平林章仁教授 (文学部)

 また「橋姫」の巻の主な舞台となった宇治について平林教授は、「平安時代の上流貴族は京の都から外に出て行くことはほとんどなく、最大限出かけるのが貴族の別邸や別荘があった宇治あたりまででした。そこから先は人の世界とは違う異界であるという認識があったようです。宇治は風光明媚(めいび)な別荘地であると同時に、人とあの世、人と死霊など魑魅魍魎(ちみもうりょう)との境界でもあったのです。そういう光と影を併せ持つ宇治という舞台を選んだことにも紫式部の意図が感じられ、雅(みやび)な暮らしの中に満たされない心の闇を抱えていた平安京の人たちの姿、そして人の世のはかなさに寄せる思いが読み取れるような気がします」。


平林章仁教授 (文学部 史学科国史学専攻)
ひらばやし・あきひと●1948年奈良県生まれ。龍谷大学文学部史学科国史学専攻卒業。博士(文学)。専門分野は日本古代の政治・文化・社会・宗教の歴史。研究分野は人文学、史学、日本史。文献史料をはじめ、考古学・歴史地理学・民俗学・神話学・文化人類学などの成果も援用し、日本古代の政治・文化・社会・宗教などについて、実像の解明をめざしている。『鹿と鳥の文化史』『橋と遊びの文化史』『蘇我氏の実像と葛城氏』『七夕と相撲の古代史』『三輪山の古代史』『七世紀の古代史』(以上白水社)、『神々と肉食の古代史』(吉川弘文館)など著書多数

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