
昨今、学力の低下が取りざたされていますが、それは習熟を嫌うようになってしまったことに原因があります。習熟とは、声に出して読むとか計算ドリルをやるといった昭和時代の小学校で行われていた訓練の要素ですね。熟達するために習う要素というのは小学校で鍛えられていたんです。小学生の時についた癖はなかなかとれません。逆にいうと、いい癖をつければどんどん伸びていく。どんな知的な活動でも、基本的には習熟の要素が必要。中学校に入ると勉強がどんどん難しくなりますから、習熟の習慣が身についていないと、いよいよ授業についていけなくなるわけです。
学ぶことの喜びは、感動と習熟の二つで成り立っていると思うんです。遺伝子が発見されたことに感動するとか、太宰治の作品に感動するとか、本来、そういったものの集積が教科書であるはずなんです。もう一つは、できるようになったという喜びです。それは習熟の喜びです。
小学生の時期というのは「学ぶことは面白いんだ」ということを学ぶ時期なんです。今の子どもは学ぶことを面白いと思っていないから、学ぶ意欲がわかないんです。
小学生に必要とされる考える力の一つは、「文脈力」です。僕は、これこそ頭の良さそのものだと思っているんです。これは、意味と意味を正しくつなぐことができるということですね。この文脈力をいろんな教科を通じて鍛えているわけですが、国語はそのものズバリなんです。現代国語は非常に重要なもので、高校入試やセンター試験の現代国語の問題が解ける力は、生きていく上で必須の力なんです。
算数・数学でも文脈力は鍛えられます。数学の問題は、式と式をどうつなげていくか、条件をどれだけ使って最後の結論に持っていくかといったものですが、その際、必要のない条件はありません。条件を全部使って、どういう順番でどこに向けて作っていくか。これは料理に似たところがあります。材料があって、最終目標のところに完成のビジョンがある。それらをつなぐ作業とよく似ています。自分は今、何のために、何をやっていて、そのためには何が必要かということを明確に説明できる力を鍛えるには、むしろ国語以上に数学を日本語で説明することの方が、有効です。
もう一つ勉強に必要な力として「段取り力」というものがあります。例えば書く作業をする場合、ほとんどの子どもは考えもせずに、いきなり書き始めます。そうではなくて、文章のテーマになるもの、材料になるものを一度頭からすべて出して、全体の展開をよく考えてから、書き始めるものなんです。これは段取りなんです。材料を全部出しておいて、それを配列し直すということですね。この段取り力は、実は勉強の隠れたメーンキャラクターなんです。
先日、OECD(経済協力開発機構)による国際学習到達度調査の結果が発表されましたが、日本の子どもは論述に弱いという結果が出ました。記述式・論述式の問題に弱いということは、考える力がない証拠です。書くということは、その前に頭の中で書き言葉で話せるようにしないといけない。だから語彙を豊富に持っていなければいけないんです。

考える力を身につけるには、問題をたくさん解くことです。問題を解く量が少ないということは、野球に例えると一日に十球しか打たないのに、甲子園に出場しようとしているようなものです。問題をたくさん解くと頭の感覚が磨かれるんです。今の小学校では、授業中に問題を解く量が少なすぎるんです。5問、10問解いただけでは変わらない実力も、100問、200問解けば、かなり瞬間的に答えが分かるようになってきて、余裕が出てくるんです。
解く問題の質ももちろん重要です。東京大学の国語、社会、数学などの問題を解いた時「こういう問題を作るのは大変だろうな」と思いました。要するにいい問題なんです。いい問題に出合うと、解けなくても「これで負けたら仕方ない」という感じでスッキリするんですよね。
勉強は、努力を重ねれば何とかなるものです。ゆっくり時間をかけてでも、たくさんの問題を解けば能力は上がっていく。努力が評価されるフェアなチャンスなんです。実は、勉強ほど公平なものって、ほかにはないんですよ。
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