「京の伝統を未来に繋ぐ」ものづくりの街・古都京都で、伝統工芸の職人の道を歩み始めた若手3人に会うことができた。自分の手でモノを生み出す力に満ちた若者たちだ。
最初に訪ねたのは蒔絵師の田中里果さんの工房。
蒔絵とは、漆器への絵付けのこと。里果さんには兄と弟のふたりの男兄弟がいるけれど、父・英雄さんに師事したのは里果さんだった。
「私は絵を描くことが好きでしたし、父の仕事を側で見ていて綺麗だなぁといつも思っていました」
ところが、19歳で弟子入りして3年後に、英雄さんは他界してしまう。アトリエには英雄さんが使っていた道具や台がそのまま残されている。
「父に聞きたいことはまだまだたくさんありますが、今は私らしい作品を作ることを楽しんでやっています」
金色に輝く汽車の絵を描いた小さなお椀も。
「甥のために作りました。漆の器を子どものうちから使って欲しくて…」
その汽車のお椀を手にとって見つめていた池井戸さんの目がキラリと光る。
「個人的に作ってもらうことはできますか? 僕の作品に『下町ロケット』という小説があるのですが、ロケットをモチーフに描いていただいたりも可能ですか?」。若き蒔絵師の自由な発想に魅せられ、ついつい自分でもオーダーがしたくなる。

翌日、錦の伝統織物作家・龍村周さんの工房に伺った。光や角度の違いで広大な宇宙に龍が浮かび上がったり、森の中の鹿がふいに消えてしまう錦の不思議を体験する。
周さんは創業者・初代龍村平蔵のひ孫、二代龍村平蔵の孫にあたる。そもそも錦織は糸の生産から始まり、織機の製造、糸を通すためのパーツなど、それぞれの工程に専門の職人がいる。どこかが欠けても伝統は守れない。特に錦のためだけに金箔を裁断する職人を守るため、箔を使ったスマホケースなど、周さんは常に新しいアイデアを考えているそうだ。
「父の光峯までは、プロデューサーやディレクター的な立ち位置で作品を作ってきました。織りは織りの職人さんにお任せしていたんです。けれど、織りの職人も減ってきている今、僕は自分でも織れるよう職人さんに弟子入りしました」

そして京都滞在3日目に、弓師の柴田宗博さんの仕事場へ足を運んだ。京都産の竹にこだわり、そして500年弓を作り続けているこの場所にこだわり、弓道をたしなむ人にとっては憧れの京弓を作り出している。
宗博さんの隣では、父である二十一代の柴田勘十郎さんが制作に励む。
「父は父の形がありますし、僕には僕なりの形があります。いつも僕の頭にあるのは、キレイなラインの弓を作りたいということです」
取材を終えた頃、アメリカから来た親子が仕事場を見学しにやってきた。宗博さんが流暢な英語で弓の解説をしている。聞けば数多くの外国人の観光客が訪れているとのこと。宗博さんの祖父はアメリカで道場を開くために渡米し、勘十郎さんも足繁く外国へと足を運んでいる。宗博さんもいずれは海外でワークショップや実演を見てもらう機会を持てる活動をしていきたいそうだ。

「会社組織でもそうですが、世代交代が一番難しいんです。特に伝統工芸の世界では、自分らしいスタイルを確立するためにどのくらい新しいものを取り入れるか、その匙加減に悩んでおられるのではないかと思います。けれど、勇気を持って、自分のスタイルを創造していっていただきたいと思います」……、池井戸さんは伝統工芸に携わることを決意した3人の若者にエールを送る。

Text by Eri Magara
池井戸潤のエッセイはこちら

「やっぱり!」の語源??
「“やはり”の語源をご存知ですか?」 儀式で使われていた古い弓の写真を見せていただいていた時、御弓師の柴田勘十郎さんはそう尋ねた。「やはりね」「やっぱり~?」……日常的に使っている「やはり」だけれど、語源までは考えたことがなかった。

やはりの語源は遠く戦国時代。戦が始まる際、ホラ貝を吹いて「やぁやぁ我こそは……」と名乗りを上げ、まず敵軍に向けて矢を放ち、敵の戦意を削ぐ。そこまでは戦の決まった流れだったことから、“矢張り”が、予測したとおりになること、という意味になったのだそうだ。

弓矢は主に威嚇のために使われた武器で、実は致命傷を負わせるのは難しかったとのこと。少ない兵力でも勝つことができたのは、大将の首を先にとれれば戦は終わりだったから。それが武士道であり、戦の暗黙のルールだった。現代の戦争にルールはあるのだろうか。

日本伝統織物研究所

錦織の龍村周さんの工房はここで公開されている。錦織作品の解説や、実際に織っている様子を見学したり、機織り体験やアクセサリー手作り体験なども催されている。要予約。

住所:〒603-8107 京都府京都市北区紫竹下ノ岸町24
電話:075-491-9145

日本伝統織物研究所 公式サイト


柴田勘十郎弓店

京都で弓を制作する柴田勘十郎氏は、当代で二十一代目。戦国時代に初代が島津藩の弓師として仕えていたことに始まる。元禄時代に京都に移ってからは徳川藩に仕え、明治22年には宮内庁御用達となっている。二十二代目の宗博さんと共に制作に勤しむ。

住所:〒600-8048
   京都府京都市下京区御幸町通万寿寺上る須浜町657

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Art Direction : Hiroyuki Aoki (Mag) Photograph : Kiyoshi Tanaka Styling : Takahisa Igarashi Edit : Mitsuhide Sako , Eri Magara Produce : Teruhiro Yamamoto ( AERA STYLE MAGAZINE )