大学で得た大きなものは、
助け合える仲間との出会い。

元号が令和に。そして、来年は西暦2020年代に。新たな時代が幕を開けようとしているなか、社会はさらに大きく変化しようとしています。大学は、人を育て、変化する課題に応え続ける場でもあります。プロスケーターとしてアイスショーに出演の傍ら、振り付けやメディア出演など幅広く活躍する安藤美姫さんに、大学での生活や学びで得たことを伺いました。

INTERVIEW
安藤美姫さん
元フィギュアスケート選手
あんどう みき/1987年愛知県生まれ。9歳よりフィギュアスケートに打ち込み、2002年に女子史上初の主要国際大会での4回転サルコウに成功。世界選手権で2度(07、11年)、日本選手権で3度(03、04、10年)優勝。06年トリノ、10年バンクーバーのオリンピック日本代表。中京大学卒。

スケート漬けの日々から
世界が広がった大学生活

──中京大学へは中京大学附属中京高等学校からの進学ですが、選んだ理由を教えてください。

 スケートに集中できる高校を目指していたときに、「応援したい」というお話があり、将来的にもいい環境だと考えました。15歳のときに4回転ジャンプを決めたことなどで、中京の関係者の目に留まり、ご縁をいただけたようです。

──スケートの拠点をアメリカに移しつつ、中京大学の体育学部に進まれましたね。

 サポートしてくださる方々への恩返しはスケートしかないと思っていたので、大学に進むのは自然なことでした。また、進学前に先生方から「大学は人との関わり方を学び、OBOGや後輩たちとも出会い、関係を築ける場所。それが安藤さんには卒業したあとの人生に役立つだろう」と伺い、メンタル面でも心強かったです。

──では、どんな人との出会いが?

 小さな頃からのスケート漬けの日々では見えなかった世界が開けました。スケーターでなくひとりの女の子として付き合ってくれる友だちや、大人になっても助け合える仲間ができた。モーグルの伊藤みき選手が同じ学年で、トリノオリンピックのときの互いの話をしたり、「4年後のバンクーバーはまだ大学生だね。一緒に行こう」と約束して4年間を共に過ごしたり。大学での出会いで、今の自分があると思います。

──その他の大学生活はいかがでしたか。

 教授の研究のお話から気づきがあったり、解剖学の授業であらためて体の仕組みを見直したり。実技のクラスでは武道の心得やラグビーの大変さを経験して他のスポーツの面白さを知るなど、体育学部ならではの学びもありました。

人生に正解はない
だから、悔いのない選択を

──安藤さんは、スケートという夢をどうやって見つけたのでしょう。

 習い事のなかでいちばん楽しかったんですが、スケートを始めた9歳のときに父を亡くし、大きな出合いと別れを同時に経験しました。スケートを教わった門奈裕子先生の笑顔に救われ、スケートが自分の人生にずっと携わるものだと感じ、先生のように子どもたちに夢を与えられる素敵なコーチになりたいという夢を持ったんです。それからずっと、コーチになるために続けてきた。父を亡くしたことでスケートと深く関わることになったので、自分に起きることには何かしらの意味があるんだと強く思いますね。

──夢がないことに焦りや不安を感じている人には、どんなアドバイスをしますか?

 まず自分が何が好きか、自分と会話するといいのかなと思います。例えばゲームが好きなら、ソフトを作る人やデザインする人など、それに関わるさまざまな仕事がありますよね。そこから好きなものに携わる職を見つけ、目標や大学選びにもつなげられるのではないでしょうか。

──今の活動のなかで、大切にしていることは?

 現役の頃から変わらないのは「悔いがないように生きる」ことです。大学選びもそうですが、人生の選択には正解がありませんよね。自分で決めたことに、強い気持ちで向かっていくだけです。だから、失敗しても成功しても、悔いがない選択をしたい。そして私は、スケートよりも安藤美姫の人生を重視してきました。リンクの外の人生、現役が終わったあとの人生のほうが長いんですよね。その人生のために今をどう生きるか。受験も同じなのかなと思います。

──最後に、今後の目標を教えてください。

 コーチになる夢を叶えることですね。そのために今は、テレビ出演などの仕事でいろんな人に会い、人間力を高めたい。選手のためにいる絶対的な存在、リンクで選手が演技をするぎりぎりまで一緒にいて、自信を与えられる心強い指導者に、近い将来なりたいと思っています。

INTERVIEW