法政大学

自由を生き抜く実践知

創立140年、大学100年の
歴史から未来へ

若者と外国人による
学校創設

新設されたHOSEIミュージアム内部(大学史展示ゾーン)

 いまから140年前、法政大学の前身である東京法学社を1880年に創立したのは、数人の20代の若者たちだった。当時の『法律雑誌』第133号(1880年9月18日刊行)には、創立者の一人、薩埵正邦(さった・まさくに)が学生に向けた言とされる「東京法学社開校ノ趣旨」が掲載されている。そこには、「今日は既に法律世界にして腕力世界にあらざるなり」、「人民たるもの法学を研究し権利義務の何たるを解得するの必要なるはすでに明白なり」と記されている。
 「腕力」がものをいう社会から、権利義務にもとづく「法律」が秩序をつくる社会へ、時代は大きく変化しつつあった。その新たな社会では学者だけでなく誰もが法律を知る必要がある。そう考えた若者たちは、多くの人々が法律を理解できる社会をつくるために、法律学校をつくった。
 彼らがこの学校の教師として頼りにしたのは、当時、政府の要請でフランスから来日して法典編纂(へんさん)に携わり、後に「日本近代法の父」と呼ばれる、ギュスターブ・エミール・ボアソナード博士だった。創立者である若者たちからの講義依頼を引き受けたボアソナードは、その後10年にわたり、一切の報酬を受けずに毎週教壇に立ち、教頭も引き受けて、この学校の発展に尽力したのである。
 ボアソナードが、卒業証書など学校の書類にサインする際、使っていた「印鑑」がある。これには、名前の両脇に、「人を愛し、人を害する勿れ」と彫られている(下の写真参照)。
 時代の変化と未来を見通した若者たちと、その先見性と熱意を受けとめた外国人の協力でつくられた学校、それが法政大学の原点だ。

「人を害する勿れ」のマグネット(HOSEIミュージアムグッズ)

校歌のプロデューサーも
学生たち

 その後、現在から100年前の1920年、法政大学は「大学」としての新段階を築く。前年1919年に国の大学令が施行され、それまで帝国大学に限定されていた「大学」が、公立、私立に拡張された。これを受けて法政大学は、慶應義塾大学、早稲田大学に次いで、他の数校とともに大学に認可されたのである。
 大学昇格と同時に、それまでの法律学校から総合大学へと学校の幅を広げ、法学部(法律学科・政治学科)および、経済学部(経済学科・商業学科)、大学予科等を設置する。この予科には、野上豊一郎、森田草平、安倍能成、内田百閒といった、夏目漱石門下の逸材が名を連ね、1922年に文学科・哲学科が設置される礎となった。
 大学としての再出発後も、法政大学は「若者がつくる大学」という原点を失わず、歴史を重ねていく。
 いまも歌われ続けている「法政大学校歌」が完成したのは1931年1月、この現校歌の制定を発意し主導したのも、他ならぬ学生たちだった。
 大学認可以降、それまで夜間に行われていた授業が昼間に行われるようになり、それに伴い「放課後」が生まれた。そして放課後を利用した、学生たちによる課外活動も盛んになる。いまも学内で長く続く体育会やサークルの中には、この時期に生まれたものが多い。
 なかでも1917年、現在の「東京六大学野球」(当時は、早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学、法政大学の四校で実施)に参加してからは、球場での応援も学生生活の一部となっていった。
 正式な校歌(現在行進曲として歌われている「名 大いなれ法政」)があったのにもかかわらず、学生たちの中から新校歌を求める気運が高まったのも、野球で一向に優勝できないことが理由の一つだったという。皆の気持ちを集め高める校歌をと、学生の間に校歌作成委員会が結成された。「学生委員が、帽子を持って『校歌の費用を寄付してくれ』と学生の間をまわると、すぐ帽子は銀貨でいっぱいになった」という(同委員会学生委員だった倉田英氏談)。そして学生による投票で、作詞は本学予科講師だった詩人の佐藤春夫に、作曲は高名な音楽家の近衛秀麿に決定する。曲作りが始まってから、佐藤と近衛の間には激しい論争も巻き起こり完成は遅れるが、学生委員は粘り強く仲介する。そして、なんとか曲の一番だけが仕上がり、1930年秋、その校歌が神宮球場で初めて学生たちによって歌われた。法政大学野球部はそのシーズンに、初の優勝を果たしたのである。
 創立から140年、そして大学として100年の節目となる2020年4月。法政大学では入学式が中止され、キャンパスに学生が入構できない状態で新学期がスタートした。ほとんどの1年生は入学以来、まだキャンパスに来ることができていない。1年生の留学生の多くはまだ日本に入国すらできていない。
 この閉塞状況でこそもう一度想起したい。時代の変化と未来を見通した若者たちと、その先見性と熱意を受けとめた外国人の協力でつくられた学校、それが法政大学の原点なのだということを。

CAMPUS TOPICS ①

法政大学の過去・現在・未来を
ネットワークし、
ブランド発信の拠点となる
「HOSEIミュージアム」開設
 「HOSEIミュージアム」は、法政大学140年の歴史を通じて蓄積したコレクションの収蔵、公開、ならびに多様な研究コラボレーションの促進を図るとともに、資源のデジタル化を進めることで、大学の価値とブランドを発信し、自校教育の拠点としての役割をも担う。ミュージアムは、その中心的機能を有する「ミュージアム・コア」、3キャンパス各々の個性を伝える「ミュージアム・サテライト」、学内各所でミュージアムとの接点をつくる「ミュージアム・ポイント」、学内資源をウェブサイト上で公開する「デジタルアーカイブ」の4つの機能で構成される。本年は市ケ谷キャンパス九段北校舎に設けた「ミュージアム・コア」と「デジタルアーカイブ」がオープンした。前者ではデジタルサイネージを活用し、法政大学の個性を表す歴史や人物に焦点をあてた展示を展開。あわせて、同大学の教育・研究の個性を6テーマで切り取った「テーマ展示」を1テーマずつ紹介していく予定だ。開設時には、オリンピック・パラリンピックにちなみ、「HOSEIスポーツの原点」として関連する人物やエピソードを紹介する。
「開館日・開館時間など」については、ウェブサイトでご確認ください。 https://museum.hosei.ac.jp

CAMPUS TOPICS ②

大学全体でSDGs達成に向け活動。
当事者としての自覚を持ち
社会に貢献できる学生を育てる
 法政大学は2016年に制定した「法政大学憲章」において、「地球社会の課題解決、持続可能な社会の未来への貢献」を掲げ、教育研究に取り組んできた。2018年には「SDGsへの取り組みに関する総長ステイトメント」を発表し、自治体や企業等さまざまなパートナーと連携しながら目標達成に向けて活動している。教育面では全15学部のSDGs関連科目を「SDGs科目群」として設定し、所定の単位を取得した学生に修了証を授与する「SDGsサティフィケート」プログラムや、SDGsをテーマにしたフィールドワークを国内外で実施。また、大学院において「公共政策研究科SDGs Plus履修証明プログラム」を開講し、多くの社会人を受け入れている。さらに北海道下川町や岩手県陸前高田市などの自治体と協定を締結し、地域に根ざした研究活動等を行う。
 今般の状況を鑑み、今年はオンラインを利用した海外の大学生との交流も進めている。世界的な視野で当事者意識を持ち、持続可能な未来を創る学生の育成をめざす。
SDGsの取り組みはウェブサイトでご覧ください。 https://www.hosei.ac.jp/sdgs/

掲載大学一覧[関 東]

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